会社員にはわかるまい。

自分のお店を持つということは、自分のままで仕事するということだ。

お店の名前、コンセプト、商品、メニュー、お店のシステム、SNSの発信内容、全て自分で考えたものだ。

はっきり言ってちょっと恥ずかしい。作文をみんなの前で読んでいるみたいな恥ずかしさだ。(もう慣れたので今はあんまり思わない)

自分の全部を出し切って仕事をしている。

だからうまくいったといきの喜びはひとしおなのだ。

褒められるとめちゃくちゃ嬉しい。お店が好きだと言われると告白された時くらい嬉しい。たくさんお客さんが来ると嬉しい。支持されているような気持ちになる。自己肯定感が物凄く上がる。お店のことを褒められたんだけど、「私」ごと褒められたような気持ちになるから。

その反面、悲しい時の落ち込み方はすごい。

批判されると物凄く悔しい。ダメ出しされると心が折れそうになる。お店への文句は私への文句。気分が落ち込む。忘れることはできない。「私」ごと否定された気持ちになるから。

会社員だった時は「〇〇会社のヤマダです」と名乗っていた。何か文句を言われても「そういう会社の決まりなんだよ」と思っていた。私に届く否定は会社への否定であって、私自身ではない。仕事で嫌なことがあるともちろん落ち込むけど、日曜にパーっと海でも行けば忘れられた。

今は嫌なことがあったらとことん考える。気分転換で忘れられるような傷の深さではないのだ。この刺さったものを抜かないと笑えない。そんな感じで解決するまで向き合う。

SNSでのマイナスなコメントや、Googleマップへの的外れなクチコミ、バカにしたようなお客さんの態度、「珈琲一杯に何分待たせるの?」という理解のない声。こういう悔しいことがあった時、私はメラメラに怒る。私が否定されたようなものだからだ。「どうてそんなにカリカリするのか」と思われるかもしれない。「自分でやりたくてやってるんだから批判くらい受け流せ」と思われるかもしれない。だけど腹が立ってしょうがないのだ。会社員にはこの感覚、わかるまい。

だけど私はこの仕事を続ける。それは多分、悲しいことや悔しいことを差し引いても、喜びがたっぷり残ると確信できるくらい、この仕事は楽しいし、優しい人が多いからだ。

未来の仕事を作らなきゃ。

未来の自分に似合う仕事を作らなきゃ。

会社員だったら年齢が上がればそれっぽい役割をもらえるけど、自分と夫しかいない我が社ではそうはいかないのだ。

街のコーヒー屋さんに行けば若いスタッフさんがいい感じに働いている。

この若くて感じのいい女の子の日々を想像してみる。 きらめく人生の中のごく一コマをこのコーヒー店の仕事に使っていて、他の時間は夢中になっていることが何かきっとあるんだろうな。 もちろん人生楽しいだけじゃないこともわかっていて、だからこそ楽しい時は笑うみたいな明朗さがまぶしい。 その子は目を見て笑ってくれる。「ありがとうございました」と。この子からコーヒーが買えてよかった。

私は”森とコーヒー。”の店頭にずっと立っている。

先日お客様に「あなたはこのお店にとても似合っている」と言われた。とても嬉しかった。

しかし この後の人生、ずっと同じことをしていては、お店と私が似合わなくなることは薄々気が付いている。 コーヒーを1杯買うだけなら、私だって街のコーヒー店にいたあの女の子から買いたい。

私の未来。 見た目も頭脳も歳を取る。 その時の私に似合う仕事ってどんな感じだろう?

それはそれできっとあるはずで、むしろ今できないことができるようになるんじゃないかという期待すらある。

私はお店も一緒に歳を取らせるつもりだ。

若い子を雇って店頭に立ってもらうという手もあるだろうけど、私は自分の仕事をいつまでもきっと表舞台に置くだろう。だからお店も熟していかないと不釣り合いだ。

未来の自分に似合う仕事を作らなきゃ。

そのために今は色んなことにチャレンジする。 それは野心なんかじゃない。決死の生き残り戦略だ。

大きくなりたいんじゃなくて、何があってもしぶとく生きたいのだ。

迷わない練習

私は仕事をする際に決めていることがある。

なるべく即答することだ。人に対しても、自分一人の時でも、答えを先延ばしにせずその場で決めてしまうのだ。

「持ち帰って検討します」と言う時は、大抵断る時だ。(夫に相談しないと決められないということも稀にあるが)

なぜ即答するかというと、いちいち持ち帰っていたら仕事がたまりすぎてしまうからだ。

お店の経営って、びっくりするぐらいやることが多い。お店の営業中はゆっくりパソコンを開いている暇はないので、前後の時間で事務仕事をするのだが、まぁ終わらない。そのいちいちに迷いがあると本当に仕事が終わらない。

だから「迷わない」ようにしないといけない。迷わないためにどうしたらいいかというと、自分の中で基準を決めておいて即答するを実践してみる。続けるといつしか迷わず答えを出すことができるようになる。

「うーーーん、どうしよっかな」と迷う仕事は大抵いい結果をもたらさない。

「え!やりたい!」と思う仕事は、できるかどうか検討する前に「やります!」と答えてしまう。答えてしまえばできるように動くものである。「一度家で考えてみます」と言って数日後に「やっぱりやります」と答える人は最初の熱を逃していると思う。責任感からきちんとできるか確認して返事をしているんだと思うけど、依頼した方はそのタイムラグでちょっと冷めていると推察する。もったいない。

迷わないと仕事は加速する。加速した先には多くのチャンスがある。

「いつかお店を」っていつやるの?

今日はやってみたいことがあるなら、絶対早めにやってみた方がいいという話。私たち夫婦は32歳と33歳の年齢の時に「将来の仕事」について真剣に話し合った。話し合い当初は40歳くらいになったらお店を持ちたいねと言っていた(結局33歳と34歳の歳の時に持つのだが)。どうも人は現実に恐れをなしてやりたいことを先延ばしにする癖があるらしい。30歳で会社を辞めてお店を始めたことを後悔したことはない。やるならすぐやった方がいい。歳とると疲れるから・・・

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40歳を過ぎて感じる焦りがある。

「いつかやろう」と思っていたことの最終決断をそろそろ出さなければいけないのではという焦りだ。

例えば、いつかおにぎり屋さんをやろうと思っていたとする。開業準備をして軌道に乗せて営業を楽しむ日々を送ることを想像する。残り時間を考えると、もうやらないといけないといけない。

私たちは時間に任せて「やらない」方を選んでいるのに、まだ決断していないみたいな顔をしてしまう。

いつかいつかと言っていた「いつか」の日にもう来ているというのに。

若かった頃はたぶん、決断したように見せかけて、選ばなかった方の選択肢を捨てきってはいなかった。

就職しようか進学しようか。会社が合わなかったら大学に戻ればいいやと思っていたけど、結局戻らなかった。

会社を続けようか転職しようか。いろんな会社を経験する人生もいいなと思いながら転職活動したことがない。

子供を持つのか持たないのか。忙しいのを盾にしてちゃんと考えてこなかったから、うちには子供はいない。

日本に住むのか海外に住むのか。海外の方が肌に合うかもとか言いながら、真剣に考えたことはない。

選ばなかった方の選択肢。

もう選べなくなっているものもあると気付く。

こんな感じで、今後の人生はもっとたくさんの「やるやらないの最終決断」をしなければならないのだろう。

現状維持することはある意味何かを選択している。何もしないことは、決めていないようで実は決めている。

いつかやろうは、もうなしだ。いつかは今だ。

時間切れになって泣く泣く出した答えではなく、自分で選びとった道を私は進みたい。

ライフワークバランスという概念を捨てる。

ライフワークバランスとは「仕事と生活をどちらも充実させる働き方や生き方」のことだ。就職先や転職先を選ぶ際には欠かせないポイントの一つである。

だけど私は珈琲屋を開業してライフワークバランスという概念を捨てた。

ライフワークバランスを保つとは、「仕事が生活を侵食しないように気をつけること」に他ならない。

働きすぎない。休日は仕事を忘れてしっかり休む。そんな働き方を変える動きは昨今珍しくない。

自分のお店を持つと、仕事が生活を侵しまくる。週5日で仕事は終わらないので休日もパソコンに向かう(というか営業日はパソコンに向かう暇がないので休日しかできない事務作業がある)。四六時中お店のことを考えてしまう。私たちは火曜水曜が休みなのだが、取引先の会社は働いている曜日なのでメールも電話も来る。

初めの頃はつらかった。「休みの日なのに仕事してる!」と発狂していた。

だけどある時から、1日単位で仕事の日と休みの日を区別することをやめた。休みの日であっても気分が乗っていたら仕事する。仕事の日であっても昼寝したり買い物しに行ったりすることもある。仕事をしている自分と、休んでいる時の自分を区別するのをやめたのだ。

この気ままな感じが今はとても楽だ。

結局旅行へ行っても外食へ行っても、「これって素敵なアイデアだな」と自分の仕事に落とし込もうとしたりするので、脳みそはいつも仕事モードなのだ。だけどそれでいい。「今日は仕事しないぞ」と制約を設ける方がずっと疲れるのだ。

私はバランスを保つことをやめた。仕事ばっかりの時期が人生にあったって、いいじゃないか。

はしゃぐと嫌われます。

ー元会社員が珈琲屋になりました。転職してフリーランスになった身だから感じることがいろいろあります。私なりの独立開業の哲学を書きます。ー

皆さん身内贔屓の強いお店は好きですか?身内だったらいいですけど、お店のお客様のほとんどは身内ではありません。

なんだかイケイケで派手な生活をしている経営者は好きですか?一部の人は好きかもしれませんが、一般的には応援されにくいと言えると思います。

そう、経営者ははしゃいではいけないのです。絶対に。

理由は嫌われるからです。

お店を経営する上で絶対に必須なのは「応援してくれるお客様がいること」です。流動的な観光などの一見さんばかりのお店の経営は危険だし疲弊します。

それなのに「身内で楽しそう」だったり「生活がイケイケでうまくいってそう」などと思われると、応援してもらえないんです。お客様目線で言うならば、応援したくてもしにくいんです。

私が特に警鐘を鳴らしたいのが「身内客問題」です。この場で身内客とは家族や友達など、お客様として出会った人ではなく、あらかじめ関係性があって尚且つお店にお金を落としてくれる人のことです。

身内なので定期的に来てくれます。来たらこちらも相手をします。他のお客様よりも過剰に相手をせざるを得ないのは当たり前ですね。せざるを得ないというか、自分も楽しくなってしまうのでついつい盛り上がって話してしまうんです。

そこにはじめましてのお客様が来た時の気持ちを考えてみてください。

気になっていたお店に行って、そこの店員さんがずっと身内客と楽しそうに話していたら邪険にされたように感じてしまう。

楽しそうに身内客とトークしている中で「注文いいですかー?」と言いにくい。

あんまりいい印象にはならないのが現実です。

身内客がものすごい頻度で来てくれて、それで経営が成り立つなら言うことないんですが、身内客は半年に1回くらいしか来ません。それなのに大事な新規のお客様との交流を邪魔しているのです。

私たちは8年前に北海道札幌から福岡県糸島に移住してきてお店を開きました。実はこちらに知り合いは一人もいなかったので、身内客はゼロなんです。今となっては親しくなった人たちが来てくれますが、家族でもないし昔っからの友達でもない、私たちが珈琲屋であることが前提で出会っている人たちばかり。そして経営者が多い。他のお客様がいると遠慮して話をしないような配慮ある人たちばかりです。

私も妹がお店に遊びに来たら、中学校の時の友達が遊びに来たら、きっとはしゃいでしまうと思います。家族や友達のいない移住先でお店をやるのは、そう言う意味でとてもストイックになれました。全てのお客様に同じように接することができたと思います。

経営者は自分のお店ではしゃいではいけません。私もたまに間違ってはしゃいで反省しています。顔が割れているので糸島市付近でははしゃいではいけません。なんか窮屈だなって思いますか?はい、経営者はとっても窮屈ですよ。お店の顔ですから。そう言う意味では会社員のように仕事を忘れられる休日なんて、ありません。