森とコーヒー。はじまりの話。④「開業前夜」

森とコーヒー。は福岡県糸島にある小さな珈琲店です。

お店のはじまりのストーリーを書いています。書き手は妻の方。ぜひ①からお読みください。

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私たちは2018年の冬にウェブショップをオープンさせて事実上の開業を果たしました。

だけど売れない。まっっっったく売れない。「開業したいならまずはウェブショップから細々はじめて・・・」などとよく言うが一体どうやって。細くも売れないのです。

誰だかわからない人から物は買わない。そりゃそうです。

この時期、私たちは飲食店に勤めながら開業準備をしていました。

夫さんは勤め先にコーヒー豆を使ってもらえることになって、だけどこの時期は小型のマシンしか持っていなくて、たくさんたくさん豆を焙煎しました。あの頃の1000本ノック的焙煎が勉強になったと今でも言っています。まさに寝る間も惜しんででした。

私はこの頃インスタグラムをはじめました。

誰も買ってくれないこの状況を打破しなくては、と最初から比較的パーソナルな発信をしました。自分たちが誰であり、なぜお店をやっているのかを丁寧に発信することを心がけました。今でも基本姿勢は変わりません。

ポツポツとウェブショップで友達家族以外の注文が入るようになりました。

休みの日には家の前にテントを張って、近所の人相手にコーヒーの試飲会をやりました。

そのうちお金をもらうようになって、インスタを見て来てくれる近所ではない人が来てくれるようになって、場所を借りて喫茶イベントをやるようになって、と段々活動に人が集まるようになって来ました。

2019年の1月に私たちは「森とコーヒー。焙煎室」こと今のお店をオープンしました。

2018年10月、まさに開業前夜のこの時期に、「森とコーヒーの夜」という野外イベントを開催しました。

野外でコーヒーを淹れて、ギターの演奏があって、夜空を見ながら椅子やラグでリラックスしてコーヒーを飲むというイベントです。

私たちのお店のコンセプトの一つでもある「外で飲むコーヒーってこんなに美味しい」を強く感じてもらうためのイベントとして企画しました。

このイベントに60名程度のお客様が来てくれました。まだお店を持たない私たちの開催するイベントにこれだけの人が来てくれたことは、今でも信じられません。

このイベントで完全に私たちのスイッチはオンになりました。

というか確信しました。自分たちがやろうとしていることがなんなのか、どういう人が私たちのお客様なのか。

私はよくコンセプトとか世界観とか言いますが、頭の中だけで完全に作り上げるのは限界があります。こんな感じかなと思うことを何かで表現してみて段々形がわかるものです。それは絵を描いてもいいし、イベントとして世界観を現実に創出してみてもいい。「森とコーヒーの夜」はまさに後者でした。その後日々の営業でいろんなことがあって「どんなお店がしたいんだっけ?」とわからなくなりそうな時は、あの日の光景を思い出す。こんなものが作りたいという純粋な理想だけ詰め込んだイベントだったからです。

開業までのカウントダウンの時期の高揚感は、今までの人生で経験したことのないものでした。

もう一回やりたいかと聞かれれば「No」です。なぜならワクワクもすごかったけど、ハラハラもすごかった。一つ一つの山が大きくて登るのが本当に大変だった。よく眠れない日も多かった。不機嫌になることも多かった。

だけどあの日々を思い出すと口角は自然と上がります。

私と夫とは、結婚式も子育てもしていないけど、あの日々を一緒に乗り切ったという歴史がある。そう思えるのです。

森とコーヒー。はじまりの話。③「移住ってどう?」

森とコーヒー。は福岡県糸島にある小さな珈琲店です。

お店のはじまりのストーリーを書いています。書き手は妻の方。ぜひ①からお読みください。

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私たちは北海道の札幌の街に生まれ、30年以上を北の大地で暮らしてきました。

仕事を変えるついでに住む土地まで変えちゃおう!と移住を決定。私は旅行で訪れたことのあった糸島を思い出し、夫と二人計4回ほど下見に来ました。

よく「どうして糸島に来たの?」「他に候補地はなかったの?」と聞かれますが、完正直に言うと深く考えてきたわけではありません。函館もいいなと思ったけど、気候もガラッと変えたかったのであたたかい九州にしました。

(会社員当時の私はめまいに悩まされており、気候を変えたら体調が良くなるのではという期待もあった)

移住ってどんな感じなのか、思い出しながら書いてみます。

移住の最大の難関は仕事探しかと思いますが、私たちは自分たちで仕事を作ろうとしている身だったので、ここはあんまり問題ではありませんでした。

食べ物もちょっと違うけど、全然大丈夫。(筋子が売ってないからいまだに悲しいけども)

ご近所付き合いなども、札幌時代よりは濃厚だけどそれもいいなと感じています。実際私たちはとてもご近所さんに助けられています。工具を借りたり、野菜をもらったり、車が溝にハマった時に助けてもらったり。飲み会などの付き合いが多くて困るとかは全然ありません。

家族や友達が近くにいないので孤独ではあります。性格的にそれは全然大丈夫。

海が青くていまだに感動します

糸島は海があって牡蠣小屋があっていちご狩りがあって・・・なので年中人が来ます。糸島市内のお客様ももちろんいらっしゃいます。だけど私たちが生活するに必要なだけ珈琲を売るためには、遠方からの来訪者がいなければ難しかった思います。私たちが移住したいなと思ったように、糸島いいなと思う人が多くいて、それに助けられています。

珈琲屋をやるために市場調査をしたかと言われると、していません。

私たちは住みたい土地に住むことを優先していたため、事業を営む土地としてどうかという点を検討しませんでした。

私は市場調査や商圏調査、立地調査をバッチリやったらお店が高い確率でうまくいくとは思っていません。大企業ではないことと、SNSの情報発信を信じていることが理由です。

だから住みたいかどうかだけで決めて、仕事はがんばるのみ。自分ががんばれる環境を選ぶというのが、私にとっては大切なのです。

糸島での移住生活は楽しいです。

移住は時に孤独ですが、孤独は人を強くする。

私たちは仕事を頑張らねばならないので、この決断はよかったと思っています。

森とコーヒー。はじまりの話。②「移住先でのアルバイト生活」

森とコーヒー。は福岡県糸島にある小さな珈琲店です。

お店のはじまりのストーリーを書いています。書き手は妻の方。ぜひ①からお読みください。

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福岡県糸島市へ移住しました。すぐにはお店をオープンできないので夫さんは飲食のお店で社員として雇ってもらいました。私はカフェとレストランでアルバイトをしました。この生活は1年半続きます。

振り返るとこの1年半が一番辛かったです。

都会の会社から観光地の飲食店へ。当たり前だと思っていたルールが適用されない世界へ来てしまいました。私のお守りだった学歴や職歴は誰も聞いてくれません。

私は”仕事できないやつ”に成り下がりました。いろんなことが同時に起こると覚えられないんです。お客さんに「水ください」と言われた直後にスタッフ仲間に「あのテーブルのデザート出てる?」と聞かれると水のことを忘れる。料理を出したついでに食器を下げてくるという当たり前のことを忘れる。みんながテキパキできることが私にはできない。そのくせシステムやルールは気になることが多くて口を出してしまいました。「もっとこうすれば効率上がります」とか言ってました。

その場その場に理(ことわり:道理や筋道のこと)があります。私が知っているルールがいつも適用されるわけじゃないし、正しいわけじゃない。身に沁みて感じました。

今振り返ると楽しかったし、飲食店スタッフのみんなの心には、いつも純粋な信念があったように思います。「お客様に楽しんでもらいたい」と。とっても素敵な姿勢を学びました。

何が一番辛かったかというと、頑張ってアルバイトしてると「開業準備が進まないこと」です。

飲食店の忙しさたるや!(二人とも超人気店で働かせてもらってた)

全然自分の時間が持てないのです。アルバイトで疲れて眠るだけの日々。「私は何してるんだろう」という自問自答で精神的にとても疲れました。

夫さんは特に、雇ってもらった会社にだいぶコミットしてました。素敵な会社だし人もいいから、それはいいこと。だけど私から「開業のために時間を使え!今の仕事頑張りすぎるな!」と言われて板挟みで辛かったと思います。

大変だったけど、助けてくれたのもこの時出会った人たちです。1日喫茶を開催するために場所を貸してくれたり、食器を貸してくれたり、何より「早く開業すれば」と背中を押してくれました。

この時期は辛かったけど、移住先で一回仕事させてもらってから開業するのはおすすめです。今もその人間関係は続いていて、私たちの宝物です。

森とコーヒー。はじまりの話。①

森とコーヒー。は40歳になったばかりの夫婦が営む小さな珈琲豆店です。

場所は糸島の森の中。誰も通らない道の奥。たった7畳半しかない小さなトレーラーハウス。

どうして珈琲屋をやっているの?この場所を選んだ理由は?

日々お客様からいただくご質問に答えるべく、文章を書くことにしました。書き手は妻の方です。

好きな場所に住んで、好きな仕事をする。ちゃんとお金に困らないように。

どうやったら叶えられるのだろうと夢想していた10年前の私に向けて書くような気持ちで、書き進めていきます。

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私たちは札幌の街で生まれ、30代前半の時に出会いました。その時はお互い会社員。お互いなんとなく働き方に迷いがあるけど、強くやりたいと思うことが無いという状態。

私は夫さんと出会って、会社に行くのが嫌になりました。だって平日一緒にいられるのは朝と夜だけ。土日の休みは長いようで短く、ストップウォッチの残り時間を憂うような気分。私は「私の時間」を取り戻したいと思うようになりました。好きな時に休んで、好きな人と長く過ごす人生を送りたい。

人生の話と、やりたいことの話、それらを二人でたくさんしました。そして将来一緒にお店を持つ約束をしました。「それはすなわち一生一緒にいるということだね?」と結婚しました。

この時は10年後くらいにお店を持てたらと話していましたが、結局この日から約2年で移住、その後1年半でお店をオープンしました。せっかちな私と計画派の夫さん。その折衷案がこの年月を物語っています。

ほんとうのはじまりはこんな感じ。

やりたいことが具体的には無かったというのは意外に思われるかもしれませんが、私たちは今も「暮らしたいように暮らす」ために仕事があると思っています。世界一の珈琲店になることを目指していません。自分一グッとくる人生を歩みたいんです。