女が出過ぎると嫌われる!夫婦開業の女の立ち位置。

「森とコーヒー。」は40代夫婦が二人で運営する珈琲店だ。「合同会社森とコーヒー」の名の下事業を行っている。会社の代表は夫さん。だが実質決定権は二人に平等にある。いつもあーでもないこーでもないと二人で会話して物事を進めている。

書き手である私(妻の方)は、この時代になっても女が仕事するのは難しいなと感じる。女だからやりたいことができないのではない。ちょっとでも夫さんを追い越すような態度があると、世間の視線が冷ややかだと感じるのだ。

そう、妻の立ち位置は難しい。

例えば夫婦二人で誰かと仕事の打ち合わせをしているとする。その時に私ばかりが話し夫さんが黙っていると、相手の視線が冷ややかになる。特にネガティブな話の時に。「夫の会社を手伝っているだけのくせに口は出すのか」という批判的眼差しを感じる。私は夫の会社を手伝っているのではない、一緒にやっているのだ。だがよく知らない仕事相手から見たら、夫の隣にいる私は”妻だから手伝っている”ように見えるみたいだ。

珈琲豆を焙煎しているのは夫さんなので、本質的なプレイヤーは夫さんだ。それに私よりも長時間働いているので、夫さんの会社だと私もうっすら思っている。

だけど私が家事を差し置いて脇目もふらず仕事をしないのはなぜか。本当のところを言うと、このくらいに留めておく方が見栄えが良いからだ。ここまでお客様が読む媒体に書くのもどうかと思うが、本心なのでどうしようもない。

夫さんの会社だと私自身が肝に銘じて、一歩下がっておく。それが現時点で私が体得したうまくコトを運ばせるコツなのだ。もちろん誰もがそんなことを思っているわけじゃないことは承知している。「あそこのお店は奥さんが口うるさいから」と言われているんじゃないかと勝手に妄想して勝手にムカムカしているだけのことなのかもしれない。

問題なのは、一歩下がってうまくやり過ごせばそれでいいなんて、私は本心では思っていないことだ。

女が出過ぎると損をするなんて、そんな世界のままじゃ嫌だ。

何もできない自分をどうにかしたい。私はこれからもっと成長しなくてはならない。

家族と仕事、どっちが大事なの?

この質問、どっかで聞いたことありますよね。男女間あるいは家族間の揉め事の火種の王道ですが、どう答えるのが正解なのでしょう?

できることならどっちも大事にしたい、それが本音ではないでしょうか?

しかしながらこの世は無情、仕事ばっかりしてたら家族と過ごす時間はないし、家族時間を大切に仕事を休んでいたら人より出世できないなんてことも。産休育休への理解が深まったり、有給を取れないなんて会社が少なくなってきたり、よくなってきているとは思うけど、現実としてはまだまだ「仕事と家族はトレードオフ」なのです。

*補足:トレードオフとは一方を追求することで他方を犠牲にしなければならない、両立できない関係性、または、あるものを得るために別のものを失う状況のことです。

だけど私は思う。仕事と家族はトレードオフなんかじゃない。両立可能です。家族で働けばいいのです。

私は今、夫と一緒に珈琲屋の仕事をしていて、ものすごく多くの時間を仕事に使っています。だけど夫との時間が減ることはない。だって同じ職場だから。そして珈琲屋の仕事は生活に直結している。仕事のことイコール家族のことなのです。仕事の未来を語ることは、家族の未来図を語ること。非常にシンプルでとてもやりやすいです。

SNSなどで「今日は家族との時間のためにお店をお休みします」という同業者の投稿を見るたびに、仕事を止めないと家族と過ごせない人は時間が足りないだろうなと思います。同時に、私がこんなに仕事に時間を使えるのは家族で働いているからなんだと実感。

家族と仕事はトレードオフじゃない。というか、トレードオフにならないようにデザインできる。

綺麗事や非現実的に聞こえるかもしれないけど、私はそうなんです。

私にはむいてない?呪いの言葉に気をつけろ。

私は長年、声が小さくて覇気がないと言われてきた。よって接客を伴うサービス業は向いていないと言われたことが何度かある。

だけどうちのお店ではそれでいいわけで。

森とコーヒー。は落ち着いた大人のためのお店で、大きな声でいらっしゃいませと言う方が場違いだ。多分一般的なお店ではあり得ない声量しか私は出していない。でもそうするとお客様も小さな声で返してくる。店内でお客様同士がお話しするときに(会計後に珈琲ができるのを待ってくれている時など)小声でヒソヒソ話している時さえある。「店内大声禁止」と張り紙をしているわけではない。お客様がここは静かにした方がいいのかな?とこちらの空気を汲んでやってくれているのだ。

子供の時、親から「これは向いてない」と言われたことがいくつかある。

大人になってからも、年上の人から「あなたこの仕事向いていないよ」と言われたことがある。

きっと誰だって一度や二度はあるだろう。ひどい人は何度も言われた経験があったりするかもしれない。

「あなたは向いてない」は呪いの言葉だ。その後の人生においてしばらく「私ってこれ向いてないんだ」と思い込んでしまうから。でもその指摘、間違っている場合があるから要注意。そもそもどうしてそんなことが他人にわかるのか。私より長く生きているからわかるのか。だけど親が私に「向いてない」を放ったであろう年齢に私はもうなっているけど、人の向き不向きなんてはかれるようにはなっていない。ましてや成長していく子供なんて未知数すぎて余計わからない。

自分というのは日々変わっていく。世界も日々変わっていく。サービス業の形は多様化し、お客様が店員に求めるものも変化した。最近のアパレルショップの店員さんはしつこく話しかけてこない(私が若い頃は大きな声で話しかけて店内でピッタリマークしてくる接客スタイルが当たり前だった)。向き不向きなんて、本当に誰にもわからないのだ。

私は覇気もなければ声も小さい。笑顔もぎこちない。だけど子供の頃から人に何かを説明するのが得意だった。高校生の時プレゼンというものを初めてやった。とても気持ちよかったのを覚えている。お店の店員は実はずっとプレゼンをしている。お店のこと、商品のこと、相手の状態に合わせて言葉や内容を変化させ、そして心を変化させる。私にとって自分のお店でやっている接客は、大好きなプレゼンに限りなく近い行為なのだ。

向いていないかどうかは、それをとことんやってみないとわかりませんよ。やってみた時、どんな自分が顔を出すのか、わかりませんから。

それに向いていないけどやりたいなら、やったらいいと私は思う。


森とコーヒー。はじまりの話。⑤「珈琲へのこだわり」

森とコーヒー。は福岡県糸島にある小さな珈琲店です。

お店のはじまりのストーリーを書いています。書き手は妻の方。ぜひ①からお読みください。

ーーーーー

今回は、珈琲についてこんなふうに考えていますという内容です。開業当初から変わらない私たちの珈琲へのこだわり、聞いてくださいませ。

「すでに珈琲屋が世の中にいっぱいある。けどやろう。」

そもそも私たちが開業する時、珈琲屋が足りないなんでことはなかった・・・。これは紛れもない事実です。

だけど私たちは立ち止まりませんでした。それはなぜか。やりたかったからです。

自家焙煎の珈琲屋がたくさんある昨今。

隣に珈琲屋がある場所で珈琲屋をやるべきではないのが感覚的に理解できるように、事業を始めるときのセオリーとして競合が多い業界は避けるべきなのだ。

だけど私たちのような小規模事業者はどうだろう、敵で真っ赤な海のそのほんの隅っこで生き残れるのではないだろうかと思いました。まるで海に出現するタイドプール(干潮で海水がひいたとき岩の隙間などにできる水たまりのこと)みたいに、小さな小さな世界を作って楽しくできるんじゃないかと妄想しました。

他の珈琲屋さんの真似ではなく、”こんな世界で珈琲を飲んだら美味しそうだな”という物語を書くような気持ちでお店を作りました。

「焙煎したての新鮮な珈琲豆という”ありきたり”な特徴を当店の売りにしました。」

当店は焙煎から4日以内の新鮮な豆のみを販売しております。ウェブショップでも発送時に焙煎4日以内であることを徹底しております。

焙煎したての豆はこうばしくて、とても軽やかです。そこから日数が経つにつれてコクや深みが出てきます。

そんなふうに珈琲豆の味というのは移ろうものなのです。その全ての過程にそれぞれのおいしさがあります。

”豆を購入した人があらゆる時期のおいしさを感じられるように。”これが焙煎から日の浅い状態でお渡ししたい理由です。

”焼きたてであること”を大事にしていますが、はっきり言って私たちだけが見つけた個性あふれるセールスポイントではないと思います。他にも焼きたてが買える店はたくさんあります。

だけどいいんです。人と個性が被っていたって気にしない。凡庸(すぐれた点がなく平凡なこと)な私たちが考えたんだからしょうがない。本心でこれがいいと思っているから、いいのです。

「深煎りのお店です。」

私たちが生まれ育った札幌の街にあった喫茶店は、深煎りの珈琲を出すお店が多かったように思います。

最近は浅煎りの酸味があってフルーティな味わいの珈琲を出すお店が多いですね。特別な一杯という感じがしてそれもいい。

だけど私たちが売っているのは日常のための珈琲です。毎日飲んでほしい。劇的な刺激や感動はいらない、「うーん、いつもの味」と思える”普通の味”を作りたいと思っています。

深煎りの、酸味がない、癖の強くない珈琲。だけど何故だろう、なんだか懐かしくって、家にいる時間がいいなと思える良い香り。これが当店の味わいです。

自分の夢を育てなきゃ。

若い頃、そばにいる人の夢を応援することこそが私の夢、とか本気で思っていた。

今は大いなる間違いだって気がついている。

誰かの夢を応援していると、その誰かが途中で頑張れなくなり、私は応援するという夢を失いたくないために夢を追うのをやめさせないように努力するようになり、その誰かに疎ましがられ、その誰かも夢の応援というライフワークも全部失う。

誰かの夢を応援する行為は気持ちいい。達成感があるし、浮き沈みが結構あるからドラマチックだ。将来を思い浮かべて夢想する時間もとっても甘美。使命感が芽生えてきてからはなお一層盛り上がってきて、”これは私の夢でもあるんだ”などど言い出す。

だけど間違っている。人の夢に自分の夢も乗っけてもらおうなんて、そして他人に達成してもらって一緒に喜ぼうなんて、そんな甘い話は人工甘味料だ。乾いたおしぼりだ。タコの入っていなかったたこ焼きだ。

自分のやりたいことを明確に描いて、それを自分で達成する。それ以外で人生の満足感を得る方法はない。私はそう思っている。

私は会社員時代前半はお付き合いしている人の夢の応援でずっと忙しかった。はたと自分の無駄な徒労に気がついてからは、転職サイトを延々と眺めたり、大学に戻って研究しようと試みたり、ずっとずっと何かを探していた。そしたら夫に出会って一緒に一つの夢を見た。これは応援ではない。私は当事者で、私が頑張らなければ未来は開けないのである。

森とコーヒー。はじまりの話。④「開業前夜」

森とコーヒー。は福岡県糸島にある小さな珈琲店です。

お店のはじまりのストーリーを書いています。書き手は妻の方。ぜひ①からお読みください。

ーーーーー

私たちは2018年の冬にウェブショップをオープンさせて事実上の開業を果たしました。

だけど売れない。まっっっったく売れない。「開業したいならまずはウェブショップから細々はじめて・・・」などとよく言うが一体どうやって。細くも売れないのです。

誰だかわからない人から物は買わない。そりゃそうです。

この時期、私たちは飲食店に勤めながら開業準備をしていました。

夫さんは勤め先にコーヒー豆を使ってもらえることになって、だけどこの時期は小型のマシンしか持っていなくて、たくさんたくさん豆を焙煎しました。あの頃の1000本ノック的焙煎が勉強になったと今でも言っています。まさに寝る間も惜しんででした。

私はこの頃インスタグラムをはじめました。

誰も買ってくれないこの状況を打破しなくては、と最初から比較的パーソナルな発信をしました。自分たちが誰であり、なぜお店をやっているのかを丁寧に発信することを心がけました。今でも基本姿勢は変わりません。

ポツポツとウェブショップで友達家族以外の注文が入るようになりました。

休みの日には家の前にテントを張って、近所の人相手にコーヒーの試飲会をやりました。

そのうちお金をもらうようになって、インスタを見て来てくれる近所ではない人が来てくれるようになって、場所を借りて喫茶イベントをやるようになって、と段々活動に人が集まるようになって来ました。

2019年の1月に私たちは「森とコーヒー。焙煎室」こと今のお店をオープンしました。

2018年10月、まさに開業前夜のこの時期に、「森とコーヒーの夜」という野外イベントを開催しました。

野外でコーヒーを淹れて、ギターの演奏があって、夜空を見ながら椅子やラグでリラックスしてコーヒーを飲むというイベントです。

私たちのお店のコンセプトの一つでもある「外で飲むコーヒーってこんなに美味しい」を強く感じてもらうためのイベントとして企画しました。

このイベントに60名程度のお客様が来てくれました。まだお店を持たない私たちの開催するイベントにこれだけの人が来てくれたことは、今でも信じられません。

このイベントで完全に私たちのスイッチはオンになりました。

というか確信しました。自分たちがやろうとしていることがなんなのか、どういう人が私たちのお客様なのか。

私はよくコンセプトとか世界観とか言いますが、頭の中だけで完全に作り上げるのは限界があります。こんな感じかなと思うことを何かで表現してみて段々形がわかるものです。それは絵を描いてもいいし、イベントとして世界観を現実に創出してみてもいい。「森とコーヒーの夜」はまさに後者でした。その後日々の営業でいろんなことがあって「どんなお店がしたいんだっけ?」とわからなくなりそうな時は、あの日の光景を思い出す。こんなものが作りたいという純粋な理想だけ詰め込んだイベントだったからです。

開業までのカウントダウンの時期の高揚感は、今までの人生で経験したことのないものでした。

もう一回やりたいかと聞かれれば「No」です。なぜならワクワクもすごかったけど、ハラハラもすごかった。一つ一つの山が大きくて登るのが本当に大変だった。よく眠れない日も多かった。不機嫌になることも多かった。

だけどあの日々を思い出すと口角は自然と上がります。

私と夫とは、結婚式も子育てもしていないけど、あの日々を一緒に乗り切ったという歴史がある。そう思えるのです。

森とコーヒー。はじまりの話。③「移住ってどう?」

森とコーヒー。は福岡県糸島にある小さな珈琲店です。

お店のはじまりのストーリーを書いています。書き手は妻の方。ぜひ①からお読みください。

ーーーーー

私たちは北海道の札幌の街に生まれ、30年以上を北の大地で暮らしてきました。

仕事を変えるついでに住む土地まで変えちゃおう!と移住を決定。私は旅行で訪れたことのあった糸島を思い出し、夫と二人計4回ほど下見に来ました。

よく「どうして糸島に来たの?」「他に候補地はなかったの?」と聞かれますが、完正直に言うと深く考えてきたわけではありません。函館もいいなと思ったけど、気候もガラッと変えたかったのであたたかい九州にしました。

(会社員当時の私はめまいに悩まされており、気候を変えたら体調が良くなるのではという期待もあった)

移住ってどんな感じなのか、思い出しながら書いてみます。

移住の最大の難関は仕事探しかと思いますが、私たちは自分たちで仕事を作ろうとしている身だったので、ここはあんまり問題ではありませんでした。

食べ物もちょっと違うけど、全然大丈夫。(筋子が売ってないからいまだに悲しいけども)

ご近所付き合いなども、札幌時代よりは濃厚だけどそれもいいなと感じています。実際私たちはとてもご近所さんに助けられています。工具を借りたり、野菜をもらったり、車が溝にハマった時に助けてもらったり。飲み会などの付き合いが多くて困るとかは全然ありません。

家族や友達が近くにいないので孤独ではあります。性格的にそれは全然大丈夫。

海が青くていまだに感動します

糸島は海があって牡蠣小屋があっていちご狩りがあって・・・なので年中人が来ます。糸島市内のお客様ももちろんいらっしゃいます。だけど私たちが生活するに必要なだけ珈琲を売るためには、遠方からの来訪者がいなければ難しかった思います。私たちが移住したいなと思ったように、糸島いいなと思う人が多くいて、それに助けられています。

珈琲屋をやるために市場調査をしたかと言われると、していません。

私たちは住みたい土地に住むことを優先していたため、事業を営む土地としてどうかという点を検討しませんでした。

私は市場調査や商圏調査、立地調査をバッチリやったらお店が高い確率でうまくいくとは思っていません。大企業ではないことと、SNSの情報発信を信じていることが理由です。

だから住みたいかどうかだけで決めて、仕事はがんばるのみ。自分ががんばれる環境を選ぶというのが、私にとっては大切なのです。

糸島での移住生活は楽しいです。

移住は時に孤独ですが、孤独は人を強くする。

私たちは仕事を頑張らねばならないので、この決断はよかったと思っています。

森とコーヒー。はじまりの話。②「移住先でのアルバイト生活」

森とコーヒー。は福岡県糸島にある小さな珈琲店です。

お店のはじまりのストーリーを書いています。書き手は妻の方。ぜひ①からお読みください。

ーーーーー

福岡県糸島市へ移住しました。すぐにはお店をオープンできないので夫さんは飲食のお店で社員として雇ってもらいました。私はカフェとレストランでアルバイトをしました。この生活は1年半続きます。

振り返るとこの1年半が一番辛かったです。

都会の会社から観光地の飲食店へ。当たり前だと思っていたルールが適用されない世界へ来てしまいました。私のお守りだった学歴や職歴は誰も聞いてくれません。

私は”仕事できないやつ”に成り下がりました。いろんなことが同時に起こると覚えられないんです。お客さんに「水ください」と言われた直後にスタッフ仲間に「あのテーブルのデザート出てる?」と聞かれると水のことを忘れる。料理を出したついでに食器を下げてくるという当たり前のことを忘れる。みんながテキパキできることが私にはできない。そのくせシステムやルールは気になることが多くて口を出してしまいました。「もっとこうすれば効率上がります」とか言ってました。

その場その場に理(ことわり:道理や筋道のこと)があります。私が知っているルールがいつも適用されるわけじゃないし、正しいわけじゃない。身に沁みて感じました。

今振り返ると楽しかったし、飲食店スタッフのみんなの心には、いつも純粋な信念があったように思います。「お客様に楽しんでもらいたい」と。とっても素敵な姿勢を学びました。

何が一番辛かったかというと、頑張ってアルバイトしてると「開業準備が進まないこと」です。

飲食店の忙しさたるや!(二人とも超人気店で働かせてもらってた)

全然自分の時間が持てないのです。アルバイトで疲れて眠るだけの日々。「私は何してるんだろう」という自問自答で精神的にとても疲れました。

夫さんは特に、雇ってもらった会社にだいぶコミットしてました。素敵な会社だし人もいいから、それはいいこと。だけど私から「開業のために時間を使え!今の仕事頑張りすぎるな!」と言われて板挟みで辛かったと思います。

大変だったけど、助けてくれたのもこの時出会った人たちです。1日喫茶を開催するために場所を貸してくれたり、食器を貸してくれたり、何より「早く開業すれば」と背中を押してくれました。

この時期は辛かったけど、移住先で一回仕事させてもらってから開業するのはおすすめです。今もその人間関係は続いていて、私たちの宝物です。

森とコーヒー。はじまりの話。①

森とコーヒー。は40歳になったばかりの夫婦が営む小さな珈琲豆店です。

場所は糸島の森の中。誰も通らない道の奥。たった7畳半しかない小さなトレーラーハウス。

どうして珈琲屋をやっているの?この場所を選んだ理由は?

日々お客様からいただくご質問に答えるべく、文章を書くことにしました。書き手は妻の方です。

好きな場所に住んで、好きな仕事をする。ちゃんとお金に困らないように。

どうやったら叶えられるのだろうと夢想していた10年前の私に向けて書くような気持ちで、書き進めていきます。

ーーーーーー

私たちは札幌の街で生まれ、30代前半の時に出会いました。その時はお互い会社員。お互いなんとなく働き方に迷いがあるけど、強くやりたいと思うことが無いという状態。

私は夫さんと出会って、会社に行くのが嫌になりました。だって平日一緒にいられるのは朝と夜だけ。土日の休みは長いようで短く、ストップウォッチの残り時間を憂うような気分。私は「私の時間」を取り戻したいと思うようになりました。好きな時に休んで、好きな人と長く過ごす人生を送りたい。

人生の話と、やりたいことの話、それらを二人でたくさんしました。そして将来一緒にお店を持つ約束をしました。「それはすなわち一生一緒にいるということだね?」と結婚しました。

この時は10年後くらいにお店を持てたらと話していましたが、結局この日から約2年で移住、その後1年半でお店をオープンしました。せっかちな私と計画派の夫さん。その折衷案がこの年月を物語っています。

ほんとうのはじまりはこんな感じ。

やりたいことが具体的には無かったというのは意外に思われるかもしれませんが、私たちは今も「暮らしたいように暮らす」ために仕事があると思っています。世界一の珈琲店になることを目指していません。自分一グッとくる人生を歩みたいんです。

会社員にはわかるまい。

自分のお店を持つということは、自分のままで仕事するということだ。

お店の名前、コンセプト、商品、メニュー、お店のシステム、SNSの発信内容、全て自分で考えたものだ。

はっきり言ってちょっと恥ずかしい。作文をみんなの前で読んでいるみたいな恥ずかしさだ。(もう慣れたので今はあんまり思わない)

自分の全部を出し切って仕事をしている。

だからうまくいったといきの喜びはひとしおなのだ。

褒められるとめちゃくちゃ嬉しい。お店が好きだと言われると告白された時くらい嬉しい。たくさんお客さんが来ると嬉しい。支持されているような気持ちになる。自己肯定感が物凄く上がる。お店のことを褒められたんだけど、「私」ごと褒められたような気持ちになるから。

その反面、悲しい時の落ち込み方はすごい。

批判されると物凄く悔しい。ダメ出しされると心が折れそうになる。お店への文句は私への文句。気分が落ち込む。忘れることはできない。「私」ごと否定された気持ちになるから。

会社員だった時は「〇〇会社のヤマダです」と名乗っていた。何か文句を言われても「そういう会社の決まりなんだよ」と思っていた。私に届く否定は会社への否定であって、私自身ではない。仕事で嫌なことがあるともちろん落ち込むけど、日曜にパーっと海でも行けば忘れられた。

今は嫌なことがあったらとことん考える。気分転換で忘れられるような傷の深さではないのだ。この刺さったものを抜かないと笑えない。そんな感じで解決するまで向き合う。

SNSでのマイナスなコメントや、Googleマップへの的外れなクチコミ、バカにしたようなお客さんの態度、「珈琲一杯に何分待たせるの?」という理解のない声。こういう悔しいことがあった時、私はメラメラに怒る。私が否定されたようなものだからだ。「どうてそんなにカリカリするのか」と思われるかもしれない。「自分でやりたくてやってるんだから批判くらい受け流せ」と思われるかもしれない。だけど腹が立ってしょうがないのだ。会社員にはこの感覚、わかるまい。

だけど私はこの仕事を続ける。それは多分、悲しいことや悔しいことを差し引いても、喜びがたっぷり残ると確信できるくらい、この仕事は楽しい。

というか優しい人の方が圧倒的に多いです。1%にも満たない不機嫌な奴らには負けない。

未来の仕事を作らなきゃ。

未来の自分に似合う仕事を作らなきゃ。

会社員だったら年齢が上がればそれっぽい役割をもらえるけど、自分と夫しかいない我が社ではそうはいかないのだ。

街のコーヒー屋さんに行けば若いスタッフさんがいい感じに働いている。

この若くて感じのいい女の子の日々を想像してみる。 きらめく人生の中のごく一コマをこのコーヒー店の仕事に使っていて、他の時間は夢中になっていることが何かきっとあるんだろうな。 もちろん人生楽しいだけじゃないこともわかっていて、だからこそ楽しい時は笑うみたいな明朗さがまぶしい。 その子は目を見て笑ってくれる。「ありがとうございました」と。この子からコーヒーが買えてよかった。

私は”森とコーヒー。”の店頭にずっと立っている。

先日お客様に「あなたはこのお店にとても似合っている」と言われた。とても嬉しかった。

しかし この後の人生、ずっと同じことをしていては、お店と私が似合わなくなることは薄々気が付いている。 コーヒーを1杯買うだけなら、私だって街のコーヒー店にいたあの女の子から買いたい。

私の未来。 見た目も頭脳も歳を取る。 その時の私に似合う仕事ってどんな感じだろう?

それはそれできっとあるはずで、むしろ今できないことができるようになるんじゃないかという期待すらある。

私はお店も一緒に歳を取らせるつもりだ。

若い子を雇って店頭に立ってもらうという手もあるだろうけど、私は自分の仕事をいつまでもきっと表舞台に置くだろう。だからお店も熟していかないと不釣り合いだ。

未来の自分に似合う仕事を作らなきゃ。

そのために今は色んなことにチャレンジする。 それは野心なんかじゃない。決死の生き残り戦略だ。

大きくなりたいんじゃなくて、何があってもしぶとく生きたいのだ。

迷わない練習

私は仕事をする際に決めていることがある。

なるべく即答することだ。人に対しても、自分一人の時でも、答えを先延ばしにせずその場で決めてしまうのだ。

「持ち帰って検討します」と言う時は、大抵断る時だ。(夫に相談しないと決められないということも稀にあるが)

なぜ即答するかというと、いちいち持ち帰っていたら仕事がたまりすぎてしまうからだ。

お店の経営って、びっくりするぐらいやることが多い。お店の営業中はゆっくりパソコンを開いている暇はないので、前後の時間で事務仕事をするのだが、まぁ終わらない。そのいちいちに迷いがあると本当に仕事が終わらない。

だから「迷わない」ようにしないといけない。迷わないためにどうしたらいいかというと、自分の中で基準を決めておいて即答するを実践してみる。続けるといつしか迷わず答えを出すことができるようになる。

「うーーーん、どうしよっかな」と迷う仕事は大抵いい結果をもたらさない。

「え!やりたい!」と思う仕事は、できるかどうか検討する前に「やります!」と答えてしまう。答えてしまえばできるように動くものである。「一度家で考えてみます」と言って数日後に「やっぱりやります」と答える人は最初の熱を逃していると思う。責任感からきちんとできるか確認して返事をしているんだと思うけど、依頼した方はそのタイムラグでちょっと冷めていると推察する。もったいない。

迷わないと仕事は加速する。加速した先には多くのチャンスがある。

「いつかお店を」っていつやるの?

今日はやってみたいことがあるなら、絶対早めにやってみた方がいいという話。私たち夫婦は32歳と33歳の年齢の時に「将来の仕事」について真剣に話し合った。話し合い当初は40歳くらいになったらお店を持ちたいねと言っていた(結局33歳と34歳の歳の時に持つのだが)。どうも人は現実に恐れをなしてやりたいことを先延ばしにする癖があるらしい。30歳で会社を辞めてお店を始めたことを後悔したことはない。やるならすぐやった方がいい。歳とると疲れるから・・・

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

40歳を過ぎて感じる焦りがある。

「いつかやろう」と思っていたことの最終決断をそろそろ出さなければいけないのではという焦りだ。

例えば、いつかおにぎり屋さんをやろうと思っていたとする。開業準備をして軌道に乗せて営業を楽しむ日々を送ることを想像する。残り時間を考えると、もうやらないといけないといけない。

私たちは時間に任せて「やらない」方を選んでいるのに、まだ決断していないみたいな顔をしてしまう。

いつかいつかと言っていた「いつか」の日にもう来ているというのに。

若かった頃はたぶん、決断したように見せかけて、選ばなかった方の選択肢を捨てきってはいなかった。

就職しようか進学しようか。会社が合わなかったら大学に戻ればいいやと思っていたけど、結局戻らなかった。

会社を続けようか転職しようか。いろんな会社を経験する人生もいいなと思いながら転職活動したことがない。

子供を持つのか持たないのか。忙しいのを盾にしてちゃんと考えてこなかったから、うちには子供はいない。

日本に住むのか海外に住むのか。海外の方が肌に合うかもとか言いながら、真剣に考えたことはない。

選ばなかった方の選択肢。

もう選べなくなっているものもあると気付く。

こんな感じで、今後の人生はもっとたくさんの「やるやらないの最終決断」をしなければならないのだろう。

現状維持することはある意味何かを選択している。何もしないことは、決めていないようで実は決めている。

いつかやろうは、もうなしだ。いつかは今だ。

時間切れになって泣く泣く出した答えではなく、自分で選びとった道を私は進みたい。

ライフワークバランスという概念を捨てる。

ライフワークバランスとは「仕事と生活をどちらも充実させる働き方や生き方」のことだ。就職先や転職先を選ぶ際には欠かせないポイントの一つである。

だけど私は珈琲屋を開業してライフワークバランスという概念を捨てた。

ライフワークバランスを保つとは、「仕事が生活を侵食しないように気をつけること」に他ならない。

働きすぎない。休日は仕事を忘れてしっかり休む。そんな働き方を変える動きは昨今珍しくない。

自分のお店を持つと、仕事が生活を侵しまくる。週5日で仕事は終わらないので休日もパソコンに向かう(というか営業日はパソコンに向かう暇がないので休日しかできない事務作業がある)。四六時中お店のことを考えてしまう。私たちは火曜水曜が休みなのだが、取引先の会社は働いている曜日なのでメールも電話も来る。

初めの頃はつらかった。「休みの日なのに仕事してる!」と発狂していた。

だけどある時から、1日単位で仕事の日と休みの日を区別することをやめた。休みの日であっても気分が乗っていたら仕事する。仕事の日であっても昼寝したり買い物しに行ったりすることもある。仕事をしている自分と、休んでいる時の自分を区別するのをやめたのだ。

この気ままな感じが今はとても楽だ。

結局旅行へ行っても外食へ行っても、「これって素敵なアイデアだな」と自分の仕事に落とし込もうとしたりするので、脳みそはいつも仕事モードなのだ。だけどそれでいい。「今日は仕事しないぞ」と制約を設ける方がずっと疲れるのだ。

私はバランスを保つことをやめた。仕事ばっかりの時期が人生にあったって、いいじゃないか。

はしゃぐと嫌われます。

ー元会社員が珈琲屋になりました。転職してフリーランスになった身だから感じることがいろいろあります。私なりの独立開業の哲学を書きます。ー

皆さん身内贔屓の強いお店は好きですか?身内だったらいいですけど、お店のお客様のほとんどは身内ではありません。

なんだかイケイケで派手な生活をしている経営者は好きですか?一部の人は好きかもしれませんが、一般的には応援されにくいと言えると思います。

そう、経営者ははしゃいではいけないのです。絶対に。

理由は嫌われるからです。

お店を経営する上で絶対に必須なのは「応援してくれるお客様がいること」です。流動的な観光などの一見さんばかりのお店の経営は危険だし疲弊します。

それなのに「身内で楽しそう」だったり「生活がイケイケでうまくいってそう」などと思われると、応援してもらえないんです。お客様目線で言うならば、応援したくてもしにくいんです。

私が特に警鐘を鳴らしたいのが「身内客問題」です。この場で身内客とは家族や友達など、お客様として出会った人ではなく、あらかじめ関係性があって尚且つお店にお金を落としてくれる人のことです。

身内なので定期的に来てくれます。来たらこちらも相手をします。他のお客様よりも過剰に相手をせざるを得ないのは当たり前ですね。せざるを得ないというか、自分も楽しくなってしまうのでついつい盛り上がって話してしまうんです。

そこにはじめましてのお客様が来た時の気持ちを考えてみてください。

気になっていたお店に行って、そこの店員さんがずっと身内客と楽しそうに話していたら邪険にされたように感じてしまう。

楽しそうに身内客とトークしている中で「注文いいですかー?」と言いにくい。

あんまりいい印象にはならないのが現実です。

身内客がものすごい頻度で来てくれて、それで経営が成り立つなら言うことないんですが、身内客は半年に1回くらいしか来ません。それなのに大事な新規のお客様との交流を邪魔しているのです。

私たちは8年前に北海道札幌から福岡県糸島に移住してきてお店を開きました。実はこちらに知り合いは一人もいなかったので、身内客はゼロなんです。今となっては親しくなった人たちが来てくれますが、家族でもないし昔っからの友達でもない、私たちが珈琲屋であることが前提で出会っている人たちばかり。そして経営者が多い。他のお客様がいると遠慮して話をしないような配慮ある人たちばかりです。

私も妹がお店に遊びに来たら、中学校の時の友達が遊びに来たら、きっとはしゃいでしまうと思います。家族や友達のいない移住先でお店をやるのは、そう言う意味でとてもストイックになれました。全てのお客様に同じように接することができたと思います。

経営者は自分のお店ではしゃいではいけません。私もたまに間違ってはしゃいで反省しています。顔が割れているので糸島市付近でははしゃいではいけません。なんか窮屈だなって思いますか?はい、経営者はとっても窮屈ですよ。お店の顔ですから。そう言う意味では会社員のように仕事を忘れられる休日なんて、ありません。

森のほとりであいましょう。2024年9月号

もう、大人だから大丈夫。

もう大人になったからやりたくないことはやらなくていいんだ、と安心することがある。

合唱が上手くいくまで何回も歌ったり、消極的なところを直せと通知表に書かれたり、子供の頃はモヤモヤすることが多かった。

歌が嫌いなわけじゃない。音楽の合唱は授業時間をオーバーしてでも上手くいくまでやるのに、理科の実験は成功しないグループがいてもチャイムと共に終了するようなところが気に入らないのだ(私は理科が好きだった)。

消極的なのはやる気がないわけじゃない。他の子の主張が強い時に、それを押しのけてまで意見を通したい気持ちがなかった。そして家では元気な長女の役回りだったから通知表に書いて欲しくなかった。親に知られたくなかった。

こんな感じだったので学校は私にとって混乱の場だった。健康な子供だったし、いじめられてもいない。状況としては何も問題は無いのだけど、いつも何かが解せない。おとなしい子供だと思われていたように思うが、疑問でいっぱいの毎日のせいで頭の中はいつもうるさかった。

それらの問題は何も解決していない。だけど私は大人になった。もうモヤモヤすることから逃げても誰にも怒られない立場を手に入れた。

実際はモヤモヤすることから逃げたりしない。だけど「自分の判断でやらなくてもいい」という状態に心が救われる。そして納得できないことにならないように、先回りも、迂回もできる。

今でも眠る直前に「あぁ、もう大人だから合唱しなくていいんだ」とホッとする。(子供の頃はモヤモヤで寝付きが悪かった。)守られている。誰でもなく大人の自分に、自分は守られている。

私の子供時代は客観的に見て悪くなかったと思う。理不尽なことも、誰かからの悪意も、乗り越えられないような辛いことも、なかった。ただ私の心が幼くて、だけど無駄に敏感で、うまく適応できなかったのだ。子供の私に伝えてあげたい。「ちゃんと生きてればいつか大人になって、安心して眠れるようになるよ」と。「その日までズルしないで頑張れよ」と。

コーヒー屋になるまでの話。11

お店の強みは何ですか。

どんな「強み」を持つお店を作るのか。他の店と違う点はどこなのか。

独立する時、自分たちのお店の強みはなんなのかを考える必要性を感じた。

当時読んでいた開業の指南書には必ず書いてあった。

「あなたのお店のセールスポイントはどこですか。どんな方法で他店と差別化が図れそうですか。しっかり自己分析しましょう。」こんな類の言葉がプレッシャーだった。

親族を説得する上でも、お金を借りる上でも、強みを持っているかどうかはとても重要視された。

でも正直に言おう。

開業当時、私たちだけが持ち、「それなら大丈夫だね!」と人に言わせるような強みなんて無かった。

「たくさんコーヒー屋さんあるけど、何が違うの?」

「みんなに勝てるような強みがあるの?もしくは秘策があるの?」

大体は私たちの開業を否定的な目で見る人、もしくは信用していない人からの質問だ。

だけど声を大にしてこの質問に答えられないことに、当時大きな焦りを感じていた。

どうしてお店をやりたいのか、お店でどんなことがしたいのか、それをどうやって伝えるかを考える。

開業して2年が経とうとする今、お店の強みを胸を張って言える。やりながら分かったこともあるし、自信を持って言えるようになるまで時間がかかったというのもある。

私たちの場合、お店の強みはお店を作る動機になったストーリーそのものではないかと思う。加えて美味しいコーヒーの定義を決め(焼きたてであることだ)、それをきっちり実践することで品質の強みも持つことができる。しかし繰り返しになるが、それらは決して誰にも思いつかないような唯一無二のものでは無いのだ。

コンセプトの話をすれば、

前章で書いたように、私たちは「人を癒したい」という大きな目的を叶えるためにお店を作ることにした。

お店では自然に触れてリラックスし、「自分に帰る」という時間を体験してただきたかった。その時間がうちに帰っても持続するように、想いを込めた商品を連れて帰って欲しいと思っている。

実質的な部分では、

自宅で美味しいコーヒーが長らく楽しめるように、新鮮なコーヒー豆を提供したい思いがあった。焙煎から4日以内の豆を売ることでそれを実現しようと考えた。他店ではあんまり見られない試みだが、これは必ず「あの店のコーヒーは美味しい」という評価に繋がると思った。「焼きたて」の呪縛のせいでロスが出るというデメリットが発生しないように、豆の生産管理には細心の注意を払う必要がある。

上記のことを読んで、どう感じるだろうか。類を見ない奇策だと思う人がいるだろうか。私はそうは思わない。誰にだって思いつきそうなことである。

一生懸命考えたありふれた強みを、丁寧に発信した。

ホームページやSNSに文章を掲載したり、イベントで冊子を配ったり、自分たちのお店のストーリーや、自分の中にある想い、そしてコーヒーの美味しさについてどう考えているかをひたすら発信した。

発信のために文章を書いているとお店を始めた気持ちの軸が見えてくるようで自分も面白かった。

こんな長文を誰が読むんだろうと思うこともあったが、意外と読んでくれた人からの反応はあった。

伝えることが最も重要。

社会に届けたいものがあってお店を始める人はたくさんいると思う。始める時のストーリーはその人固有のものであるが、本当に伝えたい芯のメッセージは実はかぶっていたりするものだ。

それに焙煎してから時間が経ったコーヒーが美味しくないのは、コーヒーに詳しい人なら当たり前に知っていることだ。「焼きたてを売ろう!」なんて名案でもなんでも無い。

一番大切なのは、それらの自分で決めたお店の売りを守り、そして一生懸命伝えることだ。

お客さん、これからお客さんになるかもしれない人、仕事で関わる人たちに、私が持っている熱を言葉で届ける必要がある。しかも一度ではなく継続的にだ。

これができていない人が意外に多いように感じる。お店のSNSを見ていても、「今日はお休みです」とか「今週のメニューはこれです」とか業務連絡ばかりで熱量やエンタメ性が全く感じられないことが多い。

「発信が大事」ということはこの時代においてみんなわかっていると思う。でも発信すればなんでもいいわけでは無い。

自分が考えた「強み」がありふれたものでも気にしない。大切なのはあなたの言葉で伝えることだ。

私はコーヒー屋を始める前はカフェ好きの会社員だった。いろんなカフェに行きいろんな雑誌を読み、その上で作った自分の店が誰かとかぶっていても何ら不思議では無い。元からそんなにアイデアマンでは無いし、たったひとつの光る才能を持っているという自負もない。ありふれたものを「自分のお店の強みにしよう」と思ってしまう自分を情けないとは思わない。

大切なのはそれを自分の言葉で人に伝えることだ。熱量を持って。

自分の言葉で発信をして、やっと人に「強み」が届く。

自分の言葉で伝えて初めて、「他のお店と違う」と感じてもらえる。

今後根幹にあるコンセプトは変わらなくても、その言葉は変化していくだろう。なぜなら私も歳をとり経験が増えて変わっていくのだから。時代も流れていくのだからちょうど良いと思う。根幹を大切にしながら今の自分の口から出てくるものを形にしていけばいい。

これから独立したい人に伝えたいのは、強みが無いのはダメだけど、「大した強みじゃないなぁ」と思う必要はないということだ。

自分の平凡さを認めて、それでもやりたいという熱量の方を大事にしてほしい。そうすればきっと発信したくなるはずだから。そしてそれは誰かの心にきっと届く。

コーヒー屋になるまでの話。⑩

そもそもなぜ「コーヒー屋」だったのか。

私たちがなぜ、コーヒー屋と言う業種を選んだのかの話をしたいと思う。

はじめに話しておきたいのは、私はコーヒー屋さんに憧れていて長年コーヒー屋になることを夢見てきたわけでは無い。誰かをがっかりさせる発言かもしれないが正直に伝えたいと思う。

一番好きなことは仕事にならなかった。

私は動物が大好きで、獣医さんになりたかったり、ドッグトレーナーになりたかったり、20代後半までイルカのいる施設で働く夢を捨て切れなかった。でもこの大好きなことを仕事にはできなかった。どうしてだろう。幻想をそのままにしたかったのかもしれない。なんとなく好きで終わってしまった。

焙煎を担当するうちの夫も、かつては消防士を目指していた。出会ってすぐの頃は格闘技に興味がありそうだったし、いまだに寿司屋になりたいとか言っている。

仕事を通してどうなりたいかを優先した。

仕事を変えることで何を目指したか。それは意外と素朴なことである。

①夫と働きたかった・・・結婚して思ったことは、せっかく家族になったのに一緒にいる時間が少ないということだ。「下手したら自分の課長の方が今日長く一緒にいたんじゃ無いか?」と感じたとき、当たり前の日常が異常に感じた。私が異常なのかもしれないがなんか違うと思った。

②もし子供が生まれたら一緒に育てたかった・・・共働きだった場合、どちらかが(多分私が)一日の大半を子供と2人で過ごすのだと思ったら、そんなことできないと思った。自営業にすれば2人で育てられると思った。

③ありがとうを感じられる仕事がしたかった・・・かつて大きな組織で働いていたので、お客様からの「ありがとう」も自分が言う「ありがとう」もなんだか空々しかった。人に貢献していたり、影響を与えていたりする実感が欲しかった。

④なんでも自分で決めたかった・・・組織で働いていると上の決定に従うのが当たり前になる。それでうまくいったとき、一番嬉しいのはトップの決定権を持つ人間だ。私は前の仕事をしていて心底嬉しくて心の底からガッツポーズをした事が無かった。このままでは嫌だと感じていた。

⑤休みは自分で決めたかった・・・前の章で少し書いたが、私はいつでも体調が万全では無い。働く時間は自分で決めたかった。それにいつ休暇をとって遊びに行くのか自分で決めたかったことは言うまでもない。

何ができるかを考えた。

上記を踏まえて自分たちに何ができるかを考えた。④と⑤がある以上、もう組織で雇われるのは違うと思った。

2人でできる超小規模事業。

私はカフェによく入り浸っていたので、「カフェをやろう」と言うことになった。夫も飲食に興味がある様子だった。

その後考え直して「コーヒー豆の小売業」に落ち着いた。

カフェをやめた理由はカフェは忙しいので2人じゃできないということだ。当初はカフェで働いた事が無かったのでわからなかったが、飲食店はとても忙しい。仕入れに仕込みに、お客様へのサービス。メニューも定期的に変えたり。とても2人では無理だ。カフェをやるというビジョンの先に、ゆくゆくは自家焙煎珈琲店になり、コーヒー豆の売り上げが立つようになり、豆の販売だけでやっていくという目標を持っていた。なので最初から一番目指していた場所にチャレンジすることにした。

業種を選ぶ上で気にしなかったこと。

転職するときや異業種にチャレンジするとき、みんなはどうやってその業界を選んでいるのだろう。

ビジネス論なんかで大事っぽいと言われていることは私は気にしなかった。

●好きを仕事にするということにこだわらない・・・私はなりたい暮らしを実現するためにできそうなことの中から仕事を選んだのだ。好きなことで生きていくというスタンスでは無い。

●伸びそうな業界かどうかということは気にしない・・・どの業界が伸びるかなんて誰にもわからない。ましてや私たちみたいな小規模事業者がそんなことで仕事を選ぶべきでは無い。世の中の流れが変わったってそう簡単に方向転換できないのだ。条件が良さそうで最初選んでしまうと、その後も条件の一番いい場所を選び続けないとそのプランは頓挫してしまう。

●競争相手が多いかどうかということは気にしない・・・どの業種だって先輩がいる。私がやろうとしていることなんて、すでに誰かの二番煎じなのだと諦めた。お店の場所を選ぶときも、その場所に競合店が多いかは気にしなかった。同じ地域に何店コーヒー屋があったらNGなのか、同じ地域とは半径何キロメートルのことなのか、そういった判断基準を決めずに市場調査しても意味がないからだ。さすがにコーヒー屋の真横にお店を作ったりはしない。その辺はフィーリングで決めるんだから、せっかくなら好きな街でやろうと決めた。

一通り読むと、なんだか夢のない理由で私たちはコーヒー屋になった。

でも今の毎日はワクワクが溢れている。仕事を含めた暮らし満足度も高い。

自分たちの店に投資したもの(時間や労力やお金)が大きくなればなるほど、愛情も情熱も湧いてくるものだ。

仕事を通してどうなりたいですか。その仕事に長く愛着を持てそうですか。

好きなことを仕事にできているかどうかよりも、私はこれが大事なんじゃないかと今思う。

コーヒー屋になるまでの話。⑨

名前をつける。心に火が灯る。

「森とコーヒー。」という店名が決まったのは、2017年6月5日だった。

それまで漠然としていたものの輪郭がはっきりとした瞬間だった。

その日から「森とコーヒー。」という存在に火が灯り、今日も私の心の中で同じ熱量で燃え続けている。

思い描いているものに名前をつける。そのパワーは偉大だ。

名前の決め方。

「どうしてこの名前にしたんですか。」とよく聞かれる。

「森の中にお店を作って、そして名前は物語の書き出しみたいにしたかったんです。」と答えることが多い。その通りなのだが、ここでは詳細について詳しく書こうと思う。

まず先に決まっていたのは「お店のメッセージ性」だ。コーヒーを通して何を伝えたいのかは決まっていた。

「非日常、日常からの隔離、自然との融合」が大きなキーワードだった。

悲しいくらいなんの個性もない。こんなありがちなビジョンしか持っていなかった。

お店を構える場所は「森」がいいと思っていた。海は好きだけどちょっと目指す世界観が違うような気がした。森の中にポツンとあるような、他の世界から隔離された場所を作りたかった。

そしてこの頃は本をたくさんお店に置きたいと思っていた。森の中にある本が溢れるお店。「本の森」を作りたいと考えていた。

「森、コーヒー、本」みたいなキーワードが頭をぐるぐるしている時に、衝撃的な名前のお店に出会った。

「女とみそ汁」である。福岡にある飲食店さんの名前だ。こちらのお店に行ったことはないのだが、その名前が爆裂よかった。刺さった。名前だけで世界観が伝わってくる。なんて素晴らしい名前なんだ。

こちらにインスパイアされて、私のお店の名前は「森とコーヒー。」になった。マルをつけたのは先述した通り物語の書き出しっぽくしたかったからだ。

日常から隔離された場所、日々の煩わしさを忘れたい時に逃げ込める場所、そんな休憩場所のようなものを「森」という言葉に変えた。「森」はあくまで象徴的な言葉だ。実際森に行かなくたっていい。うちのコーヒーを飲んでもらうことで、「時には休んでもいいんだ」というメッセージを感じてもらいたい。そうやって時にはひとり休む時間や場所が心の中にあればいいと願っている。

名前が決まると道が見える。

「森とコーヒー。」という名前が決まってからは色々な迷いがなくなった。どんな店にするか、どんなコンセプトがそこにあるのか。急に見えた気がした。
何か決断を迫られた時は「森とコーヒー。にはこれは絶対必要」とか「森とコーヒー。にはそんなもの必要ない」とか瞬時に決められるようになった。
「森とコーヒー。」という夢に火が灯った。その消えない炎の光が私をいつも導いてくれる。

この先、この頭の中で出来上がりすぎてしまったお店のビジョンのおかげで場所探しに苦戦することになる。

しかしながらここからお店を始めるまでは早かった。

これから何かしたいことがある人は、その構想にぜひ名前をつけてあげてほしい。

そうしたら急にそれが生き物みたいに成長していく。

コーヒー屋になるまでの話。⑧

異業種へ転職。洗礼を受ける。

私はコーヒー屋を開業するためにふるさと札幌を離れて、福岡県糸島市という海が綺麗な福岡の片田舎へ移住をした。

2017年4月のことである。

糸島はここ数年、関東圏からの移住者が多く「住みたい街」として人気だ。また観光客も多いため田舎に似合わずおしゃれなカフェやパン屋さんの数が多い。

夫は糸島のとある飲食系の会社に就職した。おやすみは木曜だけ。これまで週休二日、しかも有給付きが当たり前だったからびっくりした。残業代なしというか残業という概念なし。定時がいつなのかみんな認識していないんじゃないかと思うくらい夜まで働く。

私は海辺のカフェでアルバイトすることにした。履歴書がいらないと言われてびっくりした。急にキッチンで使ってくれた。メモを取る暇もないくらい次々仕事がある。OJTなんてものじゃなかった。すぐに最前線で働く。入店してすぐにゴールデンウィークに突入。ものすごい忙しさ。そしてキッチンは暑い。福岡の5月はもう夏のようだった。人生で初めてアゴから汗が滴り落ちた。朝10時から夕方17時まで休憩なしで働く(もちろん食事もなし)。

この仕事の仕方はなんだ?

私も夫も、前職との差がすごすぎて、最初はついていけなかった。(夫は市役所、私はとある科学検査財団で働いていた。マニュアルやコンプライアンス大好きな職場だったのだ。)

仕事のマニュアルは?というか就業規則は?この会議の仕方はなんだ?

とにかくツッコミどころ満載でパニックだった。でも向こうから見たら私の方がツッコミどころ満載だったんだと思う。頭がカチカチで口は立つくせに、実際手を動かしたら何にもできない。

マニュアルが必要なほど従業員はいないし、就業規則がなくても信頼でやってきてるし、会議資料作っている暇があったら即実行して1円でも稼げという感じ。

こんな風に書くと、「そんなにいやなら元業種に戻れば?」と思われるかもしれないが、私はある意味感動していたのだ。

飲食店は「人」が作っている。

飲食で出会う人はみんなすごくいい人だった。

まず一緒に働く中で心底ムカつく人というのが基本出てこない。気持ちいい優しい人ばかりだった。

それにみんなお店のために、お客様のために真っ直ぐだった。どうしたらもっと良くなるかな?という話を臆せずにいつもしていた。

このお店を良くしたいという気持ちをいつもみんな持っていたし、持てなくなった人はすぐにやめていった。

お店にいる人がその店を作っている。すごくそう思えた。

当事者意識なく会社のコマとして働いていた私には感動体験だった。

この業界で私は何ができるのか。

この海辺のカフェで1年働いた。最終的にはとても好きな職場となったが、1年働いたら辞めると最初から宣言していたのだ。

飲食の業界に飛び込んで、この業界で生きていくならこの3つが強みになると思ったことがある。

①システムや法律に強い

私がアルバイト中に重宝してもらえたのは、手続きとか新しいシステムの導入とかに強いというところだった。

イベントに出たいけど保健所の手続きが面倒・・・とか、レジ締め作業に毎日時間がかかっている・・・とか。

保健所の申請は、マニュアル通りに書類を書けばいいだけだし、レジは自動集計システムのついている無料のレジアプリを使えば毎日伝票を数える必要はない。これらはアルバイト中に提案して実行した。

意外とそんなちょっとしたことに時間を取られている個人事業主は多い。この時間分私は別のことができるなと思った。

②お客さんだったころの自分がすぐそばにいる

私は30年以上お客さん側だった。

お店に来る人の気持ちがどんな風なのかいつも臨場感を持って想像できる。普段オフィス街で働く人たちが休日の海辺のカフェに求めるものはなんなのか。

その視点を忘れないでいることは、お店作りに役立つと思った。

③文章を書くことに抵抗がない

お店のSNSやHP、チラシなどの作成のために文章を書かなければならないことは多々ある。またメールでのお問い合わせ対応や、ネットショップで買ってくれた人へ同封する手紙など、飲食の仕事をしていてもこういった事務作業はついて回るのだ。

大した文章じゃなくていいのだが、これが苦手だとすごい重荷に感じてしまう。私は幸い文章を書くのが好きなのでサクサクできる。

個人でやられているお店のストーリーやコンセプトはすごく素敵なことが多い。でもそれをうまく発信できている人は少ない。すごく勿体無い。文章や写真などを何かの媒体に乗せてアピールするのが苦手な人が多いのだ。実際に行ってその人に合えば魅力が伝わるのに。

「その場で体験しないとわからない良さ」これも価値の一つだが、こんなにもインターネットで世界が繋がっているのに勿体無いなぁと思う。

私はこの辺うまくやれそうだと感じた。

洗礼が教えてくれたこと。

このアルバイト経験により、自分には何ができるのか、そして何ができないのかが明確になった。

私には料理はできない。カフェで出す料理なんてちょっと修行すればできるだろうと思っていた。でもできない。そもそも自分の作るものに満足できないし、毎日毎日買い物して仕込みをして提供して・・・想像よりすごく大変だ。そんなこと続けられない。それができるのは料理が好きで、料理で人を喜ばせたいと心から思っている人だということに本当の意味で気が付いた。

私には毎日休まず店を開けることはできない。お店で人を待ち続けるのはストレスだ。人がたくさん来たとしても、何人来るのかわからないお客様を毎日受け入れるのは大変だ。毎日開けることが大切ではない。ちゃんと稼ぐことを達成すればいいのだ。休みなくたくさん働くのが美徳な時代はもう終わりにしよう。

これらを踏まえて自分はどんな店を作るのか。夫婦2人でカフェをやるというのはとりあえず無し、というか無理だと思った。それがわかっただけでもここで働いてよかったと思った。

全ての経験は無駄にはならない。

お世話になった海辺のカフェは今でもお気に入りの大切なお店だ。