女が出過ぎると嫌われる!夫婦開業の女の立ち位置。

「森とコーヒー。」は40代夫婦が二人で運営する珈琲店だ。「合同会社森とコーヒー」の名の下事業を行っている。会社の代表は夫さん。だが実質決定権は二人に平等にある。いつもあーでもないこーでもないと二人で会話して物事を進めている。

書き手である私(妻の方)は、この時代になっても女が仕事するのは難しいなと感じる。女だからやりたいことができないのではない。ちょっとでも夫さんを追い越すような態度があると、世間の視線が冷ややかだと感じるのだ。

そう、妻の立ち位置は難しい。

例えば夫婦二人で誰かと仕事の打ち合わせをしているとする。その時に私ばかりが話し夫さんが黙っていると、相手の視線が冷ややかになる。特にネガティブな話の時に。「夫の会社を手伝っているだけのくせに口は出すのか」という批判的眼差しを感じる。私は夫の会社を手伝っているのではない、一緒にやっているのだ。だがよく知らない仕事相手から見たら、夫の隣にいる私は”妻だから手伝っている”ように見えるみたいだ。

珈琲豆を焙煎しているのは夫さんなので、本質的なプレイヤーは夫さんだ。それに私よりも長時間働いているので、夫さんの会社だと私もうっすら思っている。

だけど私が家事を差し置いて脇目もふらず仕事をしないのはなぜか。本当のところを言うと、このくらいに留めておく方が見栄えが良いからだ。ここまでお客様が読む媒体に書くのもどうかと思うが、本心なのでどうしようもない。

夫さんの会社だと私自身が肝に銘じて、一歩下がっておく。それが現時点で私が体得したうまくコトを運ばせるコツなのだ。もちろん誰もがそんなことを思っているわけじゃないことは承知している。「あそこのお店は奥さんが口うるさいから」と言われているんじゃないかと勝手に妄想して勝手にムカムカしているだけのことなのかもしれない。

問題なのは、一歩下がってうまくやり過ごせばそれでいいなんて、私は本心では思っていないことだ。

女が出過ぎると損をするなんて、そんな世界のままじゃ嫌だ。

何もできない自分をどうにかしたい。私はこれからもっと成長しなくてはならない。

森のほとりであいましょう。2024年9月号

もう、大人だから大丈夫。

もう大人になったからやりたくないことはやらなくていいんだ、と安心することがある。

合唱が上手くいくまで何回も歌ったり、消極的なところを直せと通知表に書かれたり、子供の頃はモヤモヤすることが多かった。

歌が嫌いなわけじゃない。音楽の合唱は授業時間をオーバーしてでも上手くいくまでやるのに、理科の実験は成功しないグループがいてもチャイムと共に終了するようなところが気に入らないのだ(私は理科が好きだった)。

消極的なのはやる気がないわけじゃない。他の子の主張が強い時に、それを押しのけてまで意見を通したい気持ちがなかった。そして家では元気な長女の役回りだったから通知表に書いて欲しくなかった。親に知られたくなかった。

こんな感じだったので学校は私にとって混乱の場だった。健康な子供だったし、いじめられてもいない。状況としては何も問題は無いのだけど、いつも何かが解せない。おとなしい子供だと思われていたように思うが、疑問でいっぱいの毎日のせいで頭の中はいつもうるさかった。

それらの問題は何も解決していない。だけど私は大人になった。もうモヤモヤすることから逃げても誰にも怒られない立場を手に入れた。

実際はモヤモヤすることから逃げたりしない。だけど「自分の判断でやらなくてもいい」という状態に心が救われる。そして納得できないことにならないように、先回りも、迂回もできる。

今でも眠る直前に「あぁ、もう大人だから合唱しなくていいんだ」とホッとする。(子供の頃はモヤモヤで寝付きが悪かった。)守られている。誰でもなく大人の自分に、自分は守られている。

私の子供時代は客観的に見て悪くなかったと思う。理不尽なことも、誰かからの悪意も、乗り越えられないような辛いことも、なかった。ただ私の心が幼くて、だけど無駄に敏感で、うまく適応できなかったのだ。子供の私に伝えてあげたい。「ちゃんと生きてればいつか大人になって、安心して眠れるようになるよ」と。「その日までズルしないで頑張れよ」と。