未来の自分に似合う仕事を作らなきゃ。
会社員だったら年齢が上がればそれっぽい役割をもらえるけど、自分と夫しかいない我が社ではそうはいかないのだ。
街のコーヒー屋さんに行けば若いスタッフさんがいい感じに働いている。
この若くて感じのいい女の子の日々を想像してみる。 きらめく人生の中のごく一コマをこのコーヒー店の仕事に使っていて、他の時間は夢中になっていることが何かきっとあるんだろうな。 もちろん人生楽しいだけじゃないこともわかっていて、だからこそ楽しい時は笑うみたいな明朗さがまぶしい。 その子は目を見て笑ってくれる。「ありがとうございました」と。この子からコーヒーが買えてよかった。
私は”森とコーヒー。”の店頭にずっと立っている。
先日お客様に「あなたはこのお店にとても似合っている」と言われた。とても嬉しかった。
しかし この後の人生、ずっと同じことをしていては、お店と私が似合わなくなることは薄々気が付いている。 コーヒーを1杯買うだけなら、私だって街のコーヒー店にいたあの女の子から買いたい。
私の未来。 見た目も頭脳も歳を取る。 その時の私に似合う仕事ってどんな感じだろう?
それはそれできっとあるはずで、むしろ今できないことができるようになるんじゃないかという期待すらある。
私はお店も一緒に歳を取らせるつもりだ。
若い子を雇って店頭に立ってもらうという手もあるだろうけど、私は自分の仕事をいつまでもきっと表舞台に置くだろう。だからお店も熟していかないと不釣り合いだ。
未来の自分に似合う仕事を作らなきゃ。
そのために今は色んなことにチャレンジする。 それは野心なんかじゃない。決死の生き残り戦略だ。
大きくなりたいんじゃなくて、何があってもしぶとく生きたいのだ。