自分の夢を育てなきゃ。

若い頃、そばにいる人の夢を応援することこそが私の夢、とか本気で思っていた。

今は大いなる間違いだって気がついている。

誰かの夢を応援していると、その誰かが途中で頑張れなくなり、私は応援するという夢を失いたくないために夢を追うのをやめさせないように努力するようになり、その誰かに疎ましがられ、その誰かも夢の応援というライフワークも全部失う。

誰かの夢を応援する行為は気持ちいい。達成感があるし、浮き沈みが結構あるからドラマチックだ。将来を思い浮かべて夢想する時間もとっても甘美。使命感が芽生えてきてからはなお一層盛り上がってきて、”これは私の夢でもあるんだ”などど言い出す。

だけど間違っている。人の夢に自分の夢も乗っけてもらおうなんて、そして他人に達成してもらって一緒に喜ぼうなんて、そんな甘い話は人工甘味料だ。乾いたおしぼりだ。タコの入っていなかったたこ焼きだ。

自分のやりたいことを明確に描いて、それを自分で達成する。それ以外で人生の満足感を得る方法はない。私はそう思っている。

私は会社員時代前半はお付き合いしている人の夢の応援でずっと忙しかった。はたと自分の無駄な徒労に気がついてからは、転職サイトを延々と眺めたり、大学に戻って研究しようと試みたり、ずっとずっと何かを探していた。そしたら夫に出会って一緒に一つの夢を見た。これは応援ではない。私は当事者で、私が頑張らなければ未来は開けないのである。

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