自分にがっかりしない。

がっかりさせたくない人はいますか。

幼い頃は親をがっかりさせたくなかった。
大人になってからは、友人や恋人、恩師や会社の上司、お世話になった人など自分を見てくれる人を失望させたくなかった。

失望させたくない人がいるということは、自分を強くしてくれます。

キリンジさんの「Drifter」という曲が好きです。

この街の空の下、あなたがいるかぎり僕は逃げない。

凛とした気持ちにさせてくれます。
歌詞の解釈はそれぞれあると思いますが、私はこの曲を聞くと、自分に嘘はつかない、やりたいことから逃げないと言う気持ちになります。

本当に失望させてはいけないのは誰か。それは自分自身だと思います。

やりたいことから逃げた。
ずるいことをした。
本当に好きな方を選ばなかった。

そんな記憶は自分自身をがっかりさせます。
人には色々事情があるので、希望の生き方を貫くことがいつも正しいとは思いません。
でもその道を選んだ自分を自分は納得していますか。そんな自分が好きですか。好きだったらいいと思います。

自分はなんてダメなんだ
負けない、逃げない

この2面を行き来するのが人生なのかもしれません。
でも根底のところで自分に失望していると、チャレンジする方の面はいつか出てこなくなります。

自分自身をがっかりさせないこと。
選択ばかりの日々の中で、いつも心に置いておきたい言葉です。

大人の夏休みは短い。

仕事に行きたくないと感じたことがあるだろうか。

私はありました。
通勤電車の中、あぁこのまま遠くへ行きたいという逡巡。
私って大人になれてないのかも。ダメな自分を思い知る。

学生時代はずっと長期休暇があった。
そこから一転、会社員に夏休みはない。
仕事を始めて一年目は休暇の短さに絶望。休めてる気がしない。
会社に勤めて一年、二年経つうちに、だんだん慣れてくる。
夏休みなんて遠い記憶。

長期の休暇がない中で自分をどう整えるか。
私は取れる休みの中で旅行に行ったりキャンプに行ったりライブに行ったり、そんなことが日々の支えになっていました。
そうすることで、またちょっと頑張れる。その繰り返し。
人はどんどん強くなる。

仕事に行きたくないと思う自分を「ダメだ」と感じている人。
そんなことありません。
誰だってそんなことを思うときはあるのです。

自分は何をしたら安らぐのか、それを把握して、爆発する前に自分を癒すことを忘れないで。

好きなことに没頭する時間、自分の深部に触れる時間。
そうした時間を時折持つことで、自分を保てる。そう思うのです。

本当の自分で挑むのが苦しいと思う場で、自分を演じることは私は悪くないと思います。
その場を切り抜ければそれでいい。
なぜなら自分が好きじゃない人に好かれることに価値はないし、自分が好きじゃない場に適合した人間になる必要はないのです。

ただ、本当の自分を忘れないように。
そのためにも、たとえ短い休暇でもゆっくり休んで自分に帰ろう。

心に火を灯す。

「森とコーヒー。」という名前をつけた時、心に火が灯った。

「心に火を灯す」という言葉を最近本の中で見つけた。
ああ、そういうことかと深く納得した。

コーヒー店を開くために準備していた頃、どんなコンセプトのお店にするのかについての思考はあっちに行ったりこっちに行ったりでなかなか決まらなかった。
やりたいことが多すぎる。
優先順位がわかっていなかった。

自分がこれから開く店の名前。
「名前をつけてあげると物事が具現化する」というような内容のことを本で読んだので、店の名前を先に決めることにした。

自分の頭の中にあった店の構想に「森とコーヒー。」という名前をあげた。

そこから迷いがなくなった。
どんな店にするか、どんなコンセプトがそこにあるのか。
急に見えた気がした。

何か決断を迫られた時は「森とコーヒー。にはこれは絶対必要」とか「森とコーヒー。にはそんなもの必要ない」とか瞬時に決められるようになった。

心に火が灯った。
「森とコーヒー。」を作ること。
これが自分のやることだ、と。

一度灯ってしまえば、もう簡単には消えないし、その光が導いてくれる。

あなたは何に火を灯していますか?
仕事でも遊びでも恋愛でも、何かきっとあるはず。

まだ火が灯っていなくて、歩くべき道がわからなくても大丈夫。
いつかきっとその時はくる。
もしくは、灯った火が見えないふりをしているだけかも。

好きを仕事にすること。

好きを仕事にすること。

個人でお店をするということは、自分の「好き」「いい」という感覚を突き詰めること。
組織で働くと、客観的な価値、説明可能な根拠が必要とされる。「好きだからやりたい」は通用しない。

今、自分の好きなことを仕事にしています。
好きなことをやることと、好きなようにやることは違う。

お店をやること。
食べるものを売るということ。

「品質」という言葉がいつも頭にあります。
質を守る上で必要なこと。
自分を律すること。何よりも難しいことだと思います。

きちんとお店を開ける。
お店の世界観を保つ。
お店を清潔に保つ。
商品の品質を守る。
自分が美味しいと思えるものを出す。
お待たせしない。
いつ誰が来ても、同じ品質のものを提供する。

そのためにしなければならないことは、山ほどあります。
日々できているか自問自答を繰り返す。

品質を意識して、そのために仕組みを作り、きちんと働くことを教えてくれたのは、かつて身を置いていた会社組織です。

かつての自分がいて、今「好き」を仕事にしている自分がいる。

自分の深いところに根付いた働く上での倫理。これはどこに身を置いても変わらないと気付きました。

「好きなように働く」なんて自由は、私はいらないのです。

好きなことを仕事にすること。
とても楽しい、とても難しい。

あなたの好きなことはなんですか。

あなたの好きなことはなんですか。
音楽、本、物作り、アウトドア・・・ 自分が何が好きなのか忘れてしまった人、いませんか。
私は一時期そうでした。

会社の中でただ何となく働いていると、自分がそのシステムの一部になる。求められることをする。
どうして働くのかを考えることは求められない。だからしなくなる。
仕事が忙しくなると急に思う。
どうして働くのか。
何が好きでこの仕事を選んだのか。
答えが出なくて焦り、自分が何者だかわからなくなる。 (しっかり意思を持って働く会社員の方は、こんなことないかもしれませんね。今日はただ何となく働いていたかつての自分のことを思い返しています。)

そんな時は、休みの時間を使って、自分の心の向く方へとことん行ってみればいい。
子供の頃、何が好きだった?
時間があったらしたいと思っていたことは?
自分の「好き」を突き詰めることは、自尊心に繋がる。
忙しいを理由に心の声を無視してはいけない。

そうすると急に、見えてくる。
今の状況も悪くないな。
なのか、
もっとやりたいことがある。
なのかはその人次第だと思いますが。何かしらの答えが。

忙しくても、一息つく習慣を。
自分に帰る瞬間を。

 

コーヒーへのこだわり。

森とコーヒー。の1番のこだわり。

それは焼きたての新鮮な豆を販売することです。

金曜、土曜、日曜、月曜の4日間の焙煎室営業日に合わせて、営業日前日に焙煎を行ない、その週で売り切るようにしています。

またご予約いただいた場合は、お渡しの当日、前日もしくは前々日に焙煎を行います。

家庭でのコーヒー豆の消費スピードはゆっくり。最後まで美味しく飲んでいただくためには、焼きたての豆をお渡しする必要があると考えています。

新鮮なコーヒーの美味しさは、あなたのコーヒーへの概念を変えるはずです。

ぜひお試しくださいませ。

暮らしたいように暮らす。

「森とコーヒー。」は働く人たちを応援している。会社員、主婦、子育て中のひと、事業をしている人・・・。忙しくて自分がすり減るように感じた時、その人をそっと包み込むような存在でありたい。お疲れ様のコーヒーを差し伸べたい。自分のことを省みるきっかけを作って欲しい。それはもともと勤め人であった私たちが、その時欲しかったものだ。

その為には、私たちにとって「森とコーヒー。」がすり減ることなく働ける場である必要がある。自分を癒せない人に人は癒せない。不満ばかりで暮らしている人の言葉は届くだろうか。

そこで「森とコーヒー。」を作る上で決めたことがある。以下に綴る。

「森とコーヒー。」は夫婦二人で行う事業である。

「森とコーヒー。」は飲食店ではなく、コーヒー豆の小売業である。焙煎室でコーヒーは飲めるが、それは好きな豆を知ってもらう為の作業。カフェ的なサービスも必要最低限にしている。

「森とコーヒー。」の事業内容は二人で完結している。焙煎、焙煎室のSHOP営業を一人が、出張コーヒーや配達などはもう一人が担当する。働き手がなかなか見つからない土地柄、時代において、最初から他の働き手を必要としないスタイルを目指す。

そして「森とコーヒー。」の焙煎室兼SHOPは移動可能である。トレーラーハウスという、車で牽引すれば動かせる箱を焙煎室にした。私たちの住まいが移ればその時焙煎室も移動する。

動き出したばかりの「森とコーヒー。」なので、きっと修正しながら進むのであろうと思う。でも心にとっても体にとっても持続可能な仕組みを作りたい。それがいつかは「暮らしたいように暮らす」毎日につながる。誰かの癒しにつながる。

 

私たちは豆屋です。

焙煎室について。

「森とコーヒー。」はコーヒー豆を売る小売店です。

焼きたて、淹れたての味をご提供したいので、テイクアウトスタイルのコーヒーは販売しておりますが、カフェではありません。よって焙煎室でできるおもてなしには限界があります。

すわり心地の良い椅子や、テーブル、トイレなどの設備がありません。またコーヒー以外のメニューはございません。

焙煎室は小さな小屋ですので、中のスペースにも限りがございます。あらかじめご了承の上、おいでくださいませ。

しかしながら、このような森の片隅までわざわざ足を運んでいただくお客様一人ひとりを温かくお迎えいたします。

椅子やシートなどをご持参いただいて外でゆっくりしたり、コーヒー片手にぶらぶらと焙煎室の周りを楽しんでいただくのは大歓迎です。

自分の庭のように、森の秘密基地のように、静かな時間をお楽しみください。

またオーダーメイド焙煎のメニューもありますので、ご予約をいただいて焙煎室と焙煎士を独り占めされてもいいかもしれません。(こちらのメニューは後日公開します)

「森」の定義。

森という言葉は、一般的には「木がこんもりと生い茂ったところ」という意味かと思う。樹木の数や密集度で「林」や「森林」という言葉と使い分けられるようだが、明確は定義は見つけられなかった。

ここでは「森とコーヒー。」の店名にある「森」という言葉の定義について話したい。

「森」はあなたの「帰りたい場所」を表している。

「森とコーヒー。」は「自分に帰ろう。森へ行こう。」がコンセプトのコーヒー店である。

忙しさや様々な脅威から、自分を押し殺し、周りの意向を尊重して生きている人が多いように思う。とりわけ会社や家族などの組織内で。周りに左右されすぎて病んでしまう人もいるほど。そんなに殻にこもらず自分を出すように、と言われてもそうはできない。そういう特質の人は優しくて空気が読めて、人を想う気持ちが強い。

普段いる日常の場所で自分を出せないなら、休憩時間に、休みの日に、自分に帰ればいい。無理して自己主張する必要はない。自分の好きな人、安心できる場所、一人でいる時間、出しやすい場所で自分を出す。小さい頃、好きだったものは?時間があったら本当は何をしたい?自分から湧き出る「欲求」や「知的好奇心」の音。それを忙しいを理由に無視してはいけない。

自分に立ち返る作業は、やがて自尊心を与えてくれる。本当の自分。自分の気持ち。それを忘れないこと。

一つの場所で苦しいのがなんだ。人生の一幕にしか過ぎないじゃないか。

私にとって「自分に帰る」方法は自然とつながることだった。キャンプに行くこと。動物と触れること。日常が忙しくても、キャンプの朝、湖を眺めていると日常が遠く感じる。仕事が忙しいことを人ごとのように思う。子供の頃に見た景色、抱いた感情。自分もあの頃とあまり変わっていないなと思う。自分を見失わないこと、見つめ直すこと、それが自分を強くする。

私は自分に帰りたい時、森へ行く。自然とつながることがその方法だからだ。

自然の不思議、美しさ、雄大さ。自然に知的好奇心をくすぐられない人はきっといない。自然と触れることが多くの人にとって「自分に帰る」方法になると信じている。

「森とコーヒー。」のコーヒーは、飲んだ時、頭に浮かべてほしい「森のシーン」をネット販売サイトで紹介している。なぜなら忙しい人ほど休息が必要なのに、森へ行く時間がないからだ。私たちのコーヒーを飲んで、目を閉じる時、森の中にいるような心持ちになれたらいいと望んでいる。

コーヒーは雄大な森の恵み。その香りは森への誘い。

あなたにとって「自分に帰る」方法はなんですか?