2021年10月号の婦人画報さんに掲載いただきました。
お店のトレーラーハウス「住箱」を買ってよかったな!っていう文脈でご紹介いただいております。
2021年10月号の婦人画報さんに掲載いただきました。
お店のトレーラーハウス「住箱」を買ってよかったな!っていう文脈でご紹介いただいております。
日常の中で起こったことや思ったことをつらつらと書く「日々のこと。」、
転職と移住をした私の人生日記「会社にいけない私はコーヒー屋になりました。」、
森とコーヒーが毎月発行している気持ちに寄り添う会報誌「森のほとりで会いましょう。」の3つのカテゴリーに分けて記事をアップしています。
2015年12月27日、夫が初めてコーヒー豆の焙煎に挑戦した。
ガスコンロの上で網に入れたコーヒー豆を直火で焼く、いわゆる手網焙煎というやつだ。
カフェを開業しようと決めて、お金を貯め始めてはいたけれど、他に具体的に何をしたらいいのかわからなかった。飲食店で働いて修行?カフェの専門学校に通う?コーヒー関連の資格をとる?
あの頃の自分にアドバイスできるなら、「とにかく動け」と言いたい。
学校に通うことや資格を取ることは、カフェをはじめた後にその知識が役立つと思うけど、「お店をはじめる」ということには繋がらないと思う。学校を出て就職をした人なら、まずは教えてもらう環境を探すことや資格取得に走りたくなるだろう。でもこれじゃ始まらないのだ。それにそんな時間やお金はないのだ。
できなくてもいいから、場所を借りて一日カフェをやってみるとか、コーヒー焙煎を実際に自分でやってみるとかそういうことが必要。
でも私はこわかった。イベントをやっても人が来なかったら?自分が考えた店の名前やコンセプトを発信するのって恥ずかしい!こんな気持ちがまだあった。(今はなんとも思わない。むしろワクワクするし、発信することは気持ちいい)
そんな中、夫が焙煎にチャレンジした。味は覚えていない。とにかく焙煎したということが大きな一歩だった。あの日から夫はものすごい回数豆を焼いて、ずっと独学で焙煎をしている。コーヒー屋に専念できたのはここ1年の話なので、仕事が終わった深夜や早朝に豆を焼いていた。
何をしたら、前に進めるのか。会社員だったのに30代前半で退職してコーヒー屋になるという人が近くにいなかったので、誰も教えてくれなかった。どうやったらその道に行けるのかわからなかったのは初めてだったかもしれない。そんな時はとにかく動け。見当違いなこともいっぱいやった。あんなことに時間とお金を費やしてバカみたい・・・と振り返ることが多々ある。でも動かないよりずっとマシだ。
イベントは真剣に企画すれば人は来てくれるし、お店の名前やコンセプトを聞いて笑うような奴がいたらそいつが間違っていると思う。(アドバイスをくれる人がいたりする時はちゃんと聞こう)
恐怖心や羞恥心を突破したその先に道がある。頭に思い浮かんだことをやってみること。これが少しずつだか前に進むことになる。
書いた日:2019年7月2日
会社に行けない、ダメ人間。
良性突発性頭位めまい症という病気になった。
原因は不明。文字通り頭の位置をダメな方向(この病の人は人によってNG角度があると思う)に動かすと急に回転性のめまいがやってくる。危険なのは寝ている状態から起き上がる時。いまだに発作的にめまいは襲ってくる。治ってないのだ。良性だし生活は緩やかなのでほっておいている。しかし朝9時から始まる仕事に週5ではもう行けないだろう。なんてダメな人間なんだと嫌だった。でも今は仕事を自分たちで作っているから「会社に行けない=ダメ人間」とは思わない。
私は今、夫と二人でコーヒー屋をやっている。開店時間は12時から。どうしても朝起きられない時は開店準備は夫一人でやる。
何かしらの理由で会社勤めが辛い人は、開業すれば(自分で作った仕事をすれば)いいと思う。
確か最初に発症したのは2015年の春頃だったと思う。友達の家で一晩眠って起き上がろうとしたら、上と下がわからないくらい目が回ってへたり込んだ。とっさに症状を友達に悟られまいと思い、どうにか家を出て駐車してあった自分の車で3時間くらい休んだらどうにか運転できるようになった。
それからと言うもの、たまに突発的にめまいはやってくる。立ち上がれないほどのレベルのやつだ。しかもそのあとは乗り物酔いの気持ち悪さがやってくる。私は乗り物に弱い。船はもれなく吐くし、いまだに飛行機が苦手。めまいがした朝は通勤電車に乗ることが難しかった。
月に1回くらいの頻度から始まり、最終的には週に1回は会社を休むようになってしまった。以前の投稿で述べたように、開業資金の貯金のために働かなければ行けない時期に、有給は使い果たし、欠勤も使い果たし、ついには休職までしてしまった。最後はもう退職しか道が無くなり、一度退職した後同じ職場にパート職員として復帰させてもらい2017年3月までどうにか働いた。元職場には多大な迷惑をかけたにもかかわらず、どうにか職場にいさせようとしてくれた直属の上司や周りの方々に言い切れないほどの感謝がある。
いまだに理由はわからない。ずっとストレスだと思っていた。当時は結婚や移住に関して母親から猛反対されており、精神的に疲弊していた。また会社を休む申し訳なさがまた自分を追い込むという、救いようのない負のスパイラルにはまっていた。
現在、特にストレスはないが、めまいはたまにやってくる。もう体調として付き合うしかないのかなと思う。でも会社員のままだったら「なんでこんなに自分はダメなんだ」と思い続けていたと思う。なんかせつない。
朝9時出勤、週5日が向いてないのだ。ただそれだけ。会社に勤めることが正義だと思い込まされていたから、自分をダメだと卑下してしまった。日本の働き方の意識が変わって、有給が取りやすくなって、残業が少なくなっても私には無理。体調がいいときはバンバン働くけど、長いスパンでそれをキープできないのだ。ちゃんと仕事している会社のみんなを尊敬している。でもそこからこぼれ落ちたことは社会からこぼれ落ちたことではない。自分の都合に当てはまる企業なんてなかなかない。なんの資格も特技もない普通の34歳。あっても雇ってもらえない。だからコーヒー屋を自分で作って社会に食い込んでいる。(開業の理由はもちろん他にもある)
会社が辛くて病んでしまう人の話を聞くと、すごく心が痛くなる。やめちゃえばいいという簡単な話ではないことはわかっている。でも仕事って1回しか選べないんだっけ?習い事とか恋人とかジム通いとかって合ってなかったら変えますよね。特に結婚相手なんて一番自分に会う人を必死で探しますよね。それぐらいのこと、仕事に対してもやっていんじゃないかと思う。
合わない環境で、自分をダメにするのはもったいないことだ。
書いた日:2019年6月27日